思想と行為が弾劾し合い心が宙に彷徨ったブログ

私の生きた軌跡をここへ残しておきます

同性愛者

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同性愛とは


アメリカ精神医学会は次のように同性愛を定義する。

同性愛は性的指向の一種で、先天的に同性間に性的、愛情的、ロマンチックな魅力の経験の持続的なパターンを意味する。
これは性的行動だけでなく、パートナー共有の目標と価値、相互支援、持続的な努力、非セクシャル物理的な愛情を含む。
そして同性愛者らが共有するコミュニティメンバーシップと同性愛を表現する行動と魅力を根幹とする社会的アイデンティティを意味する。


これまで同性愛者は、嫌悪・差別・異常視の対象になってきた。
1952年にアメリカ精神医学会が発表したDSM-Ⅰには、同性愛者は「病的性欲をともなった精神病質人格」と規定されていた。
その後、1973年のDSM-Ⅱでは同性愛の記述は削除され、
DMS-Ⅲでは「自我違和的同性愛」と規定されたのだが、
1988年のDSM-ⅢR、1994年のDSM-Ⅳでは同性愛の分類自体なくなったのである。
また世界保健機関(WHO)の国際疾病分類(ICD)の改訂第10版でも、

「同性愛はいかなる意味でも治療の対象にならない」とされた。

 

すでに世界的には同性愛は治療の対象や人格障害の範疇から除外されているのである。

 


同性愛者の割合


LGBT調査2015」によると、日本国内でLGBTを自認する人は全体の7.6%にあたり、左利き、AB型の人が日本人に占める割合とほぼ同じとされている。

 

LGBTとは性的少数者を限定的に指す言葉。
レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(心と体の性の不一致)の頭文字をとった総称であり、他の性的少数者は含まない。

 

世界各国が独自の調査をしているため単純に比較するのは難しいが、だいたいどの国でも20人~30人に一人が「同性に性的な魅力を感じたことがある」と回答するという結果になっている。

 

 

 

同性愛者のカミングアウト


自分が同性愛者と自覚しはじめた初期段階において、大半の者が自己嫌悪や自己否定の感情に苛まれることがあるとされる。

 

受容はゲイやレズビアンであることを受け容れ、自己承認することである。
カミングアウトの一つ前の段階で、セクシュアル・アイデンティティを自己肯定するための大切な過程とされている。

 

一方のカミングアウトは自らが同性愛者であることを確認した上で、それを自分や周囲に隠さず素直に生きることを指す。


カナダのモントリオール大学系のラ・フォンテーヌ病院のチームは、カミングアウトした同性愛者は、それをしていない同性愛者よりもストレスが少なく、異性愛者よりもリラックスしていることがあるとする研究結果を発表した。


あなたは友人といった他人から自分自身は同性愛者であると告げられた経験があるだろうか?そしてその時どのように感じたであろうか?

 

ちなみに、カミングアウトされた経験がある人は、全体的に受容傾向が強いとする実験結果が出ている。

 

 

 


Gayman’s story

 

 

私がテーマパークでアルバイトを始めてまだ日が浅い頃の話である。
バイト終わりの夕暮れ時。
私は、散り始めた桜の木の下で園内を走るカートを洗っていた。

 

すると木の後ろから作業着姿の20代後半ぐらいの男性が現れた。
彼は爽やかな笑顔で私に近づいてきた。
そして私にピースサインをみせてこういったのである。

 


「二万でお願いします!!!!!!」

 

 


そして彼は私に深々と頭を下げた。


私はこの意味を理解できずに首を傾げた

 

 


「じゃあこれでお願いします!!!」

 

 


ピースサインに指を一つ加えて3の指に変えたのである。
私はここで始めて意味を理解した。
簡単にいえば、「2万でやらしてくれ」ということである。

 

これは彼のお決まりのジョークで、はじめましての挨拶のようなものだった。
私たちはこの日からすぐに仲良くなった。


彼は若い頃の石田純一を思わせる甘いマスクを持つのだが、体はバキバキに鍛えあげられており、なんともアンバランスな見た目だ。

中身は更にアンバランスで、いわゆるオネェ系だ。

今でいうとタレントのりゅうちぇるのようなキャラクターだ。
とてもユーモアがあり、サービス精神旺盛でみんなを大いに楽しませた。


深夜のバイト先に忍びこんでみたり、山にツチノコを探しにいったり、スナック、キャバクラ、ノーパン焼肉屋メイド喫茶、ゲイバーなど
当時、学生だった私にはとても刺激的な体験だった。

 

その中でも特に楽しかったのがゲイバーである。
彼らはとても明るい。

 

Gay という英語の本来の意味は「お気楽」「幸せ」「いい気分」「目立ちたい」という意味で主に使われてきた言葉であり、会話や文書において非常にポピュラーなものであったそうだ。

 

まさに彼らはその言葉どおりだ。私を大いに幸せな楽しい気分にしてくれた。
帰る頃には笑いすぎて腹筋が痛くなるほどだ。

彼もゲイバーにいるときはいつにもまして楽しそうであった。

 

 

目一杯楽しみ、店をでると彼はいつもタバコを一本吸うのである。
通常、彼が黙っている時間はほとんどないのだが、タバコを吸い終わるまでは無言に徹する

 

彼のふかしたタバコの煙が夜空に消えていくのをただひたすら眺めるのである。
この叙情的な雰囲気が私はとても好きであった。

 

吸い終わると、いつもの彼に戻ってしまうのだが。

 

 

彼はテーマパークの庭管理の仕事をしている派遣社員だ。
都会から赴任してきていたので、彼の喋る標準語は独特の雰囲気があった。

 

職場で彼は私に好意があるような振る舞いを周囲に見せた。
若い女好きの陽気なキャラクターを演出するが、
彼は私に対して恋愛感情や性的な魅力を感じるといったことは一切ない。
2人の間にあるのは完全な友情なのである。

 


彼は同性愛者だ。

 


いつそれを告げられたのかは記憶に残っていない。


彼の好みのタイプはシャンプーの香りがしそうな白いシャツの似合う猫っ毛の男の子だ。 たまに筋肉質な色黒の男性にも惹かれるようだが。


彼はそのような男性たちに対して激しいdesire(欲望)を持つ。
そのような対象を見つけると、私が一緒にいてもお構い無しである。
私をバーに放置して気に入った男性と姿を消したり、
食事中であっても、意中の相手から連絡が来ればすぐに飛び出していくのである。

 

 

そして彼はとても嫉妬深い。

 

 

私が大事な話をしていようが、仕事中であろうが、トイレに行くときであろうがつねに二つの携帯電話を手放さない。

 

恋人がどこでなにをしているのか、浮気をしていないか気になるのである。
電話をかけてもメールをしても返信がないといった状況になると、彼は居ても立ってもいられない。恋人の携帯電話にGPSをつけさせ行動を監視している時もあったほどだ。

 

ようやく連絡がついたときでさえ、彼は恋人に激しい怒りを向けるのである。

恋人のケータイチェックを欠かさず行い、疑わしいメールや着信履歴があれば、その携帯電話を破壊するのだ。
彼の鍛え上げられた筋肉によって、逆パカされた可哀相な携帯電話を私は何度かみたことがある。

 

このように彼の愛は激しく情熱的なのだが、長続きしない。


彼の行動は恋人への愛情からくるのだろうか?
私は当時から違和感を感じずにはいられないのである。

彼のとても相手を尊重しているとは思えない行動は、恋人を自分の延長、所有物として扱っているようにみえる。
また普段は陽気だが、彼は極度の寂しがり屋だ。
酔うと彼はよくこんなことを言った。

 

「僕は1人ぼっちだ。1人ぼっちで死にたくない」

 

彼は幼い頃から、周りからの疎隔感や差異を感じていたという。

そして家庭内でも孤独を感じて育ったと話す彼は、人から愛されているという実感が薄いのかもしれない。

また、携帯電話はいつでもどこでも相手と繋がることを可能にしてしまう。

いつどこでも連絡がとれるはずなのに、なぜ連絡がないのかと彼を不安にさせてしまうのかもしれない。彼は相手をイメージとして心に保つことをができないのだ。

 

 


精神分析家のウィニコットは、
相手への信頼と自分自身への信頼とは、相手が不在のときにこそ育まれると述べている。

 


いつでも連絡がとれてしまう携帯電話はそれを困難にしているかもしれない。

 


ゲイバーで彼が乱痴気騒ぎをしている時
彼の携帯電話に恋人から自殺を匂わすようなメッセージとリストカットした写真が添付されて送られてきた。
それに対して、頭にTバックを被ったまま恋人に同情的な慰めのメッセージを送る彼を見て、私はなんともいえない奇妙な気持ちになった。
私たちは多面的な人格を持つだけでなく、携帯電話によって多面的な空間に身を置かされているのだ。

 

いままでの内容では、自己中心的な人間にみえるかもしれないが、
彼はとても優しい人間である。

 

しばしば、私を店に放置していくが、支払いは必ず済ましてから姿を消すのである。
終電がない時間であればタクシー代まで律儀に置いていくのだ。
自分のぶんは自分で払うと私が言うと、

 

「女の子はオシャレにお金をかけないとダメだよ。そのお金は自分磨きに使ってよ。」

 

というのである。

そして、私の誕生日には素敵なサプライズを企画してくれた。
その日はアルバイトでテーマパークにいた。

閉館後、カートを洗っていると館内放送がかかった。

 

 

ハッピバースディートゥーユー♪ハッピィバァスデェ〜〇〇ちゃぁん〜♪

 

 

と彼の歌声が館内に鳴り響いたのである。

放送室に走っていくと、スタッフ達がバースデーケーキを持って出迎えてくれた。
今でも忘れない誕生日である。

そして帰宅しようと車に戻ると車の上には薔薇の花束が置いてあったのである。

 


こんな芸当ができる男子が日本に何人存在するだろうか。
彼はまさに王子様である。

 


彼はサービス精神が旺盛で人を喜ばせるのが好きだ。
職場の送別会では何十万もするシャンパンタワーを惜しげもなく振る舞ったりもした。

 


このような性格から彼は職場でも人気者であった。
しかし、彼のデスクの右の席にいた上司は彼のことを快く思っていなかったようだ。


職場では彼が同性愛者であることは知られていない。


上司は彼の男らしくない態度と女性たちと親しげに接する彼が気に入らないのである。


上司の男性・女性に対する評価はステレオタイプだ。
男とは会社のためにすべてを犠牲にして働き、女性は献身的に男性を支えるべきだという考えである。


昼休みにみんなでテレビを鑑賞していたときのことだ。
当時、メディアではオネェ系タレントが大流行していた。
そのタレントたちをみて上司はこういった。


「オカマって生理的に無理だわー気持ち悪い。なんでこいつらテレビにでてくんの?
男と男がくっついても子供もうまれないし、なんの生産性もないよなぁ。
生物としておかしくないか?日本の未来が心配になってくるわ。」


そして、上司はチャンネルを変えた。この偏った発言は褒められたものではない。
しかし、口には出さないがこういう考えをもつ人が少なくないことを知っておかなければならない。


同性愛者に対する異性愛者の受容といった観点において、
男性同性愛者と女性同性愛者に対して、女性異性愛者は双方の受容傾向に差は見られなかったが、男性異性愛者については男性同性愛者に対してのみ受容の傾向が有意に低いという実験結果が複数の実験で出ている。

つまり、男性の場合は男性同性愛者に対して嫌悪感をもつ傾向があるということである。

 


彼は18才で家出をし実家とは疎遠となっている。
特に父親に対しては激しい憎悪を持っているのが会話の中から伺えた。

更に、幼少期には壮絶なイジメも経験している。
彼は自虐ネタとしてその話をするのだが、そのイジメの内容は心が痛むものである。

 

このように人格が人の手によって否定されるという悲惨な事実は後を立たない。

 

あなたは良心があり理性的な判断ができるためこのようなことはしない
と思うかもしれない。
しかし一定の条件がそろえば私たちは非人道的な行為を行うことがあるのだ。

 

 

第二次世界大戦のときの、ナチスによる大量虐殺は、人類史上大きな過ちの一つだろう。

約600万人のユダヤ人の他、ロマ、同性愛者、精神・身体障害者、重病人といった人々が社会的逸脱者として、合計で約500万人が殺された。

この出来事を狂気として片付けてはいけない。

ナチズムが目指していたのは、もともとは人格と人間の向上であったのだ。

 

ナチスは人類の健康と精神衛生の向上のため、人間の理想形から逸脱しているとナチスが認定したものを根絶やしにして、人類を改良し向上させようとしたのだ。

 

当時、多くの国で優生学の考えのもと、精神疾患や身体障害を持つものに、断種が行われた。日本でもハンセン病患者への隔離や断種が行われた事実がある。

 


これらの例は極端であるかもしれないが、

 

「顔の可愛い赤ちゃんが欲しいから、イケメンと結婚したい」
「優秀な遺伝子を残したいから、頭のいい人との子供が欲しい」
「結婚相手の親戚に障害児がいるんだけど、大丈夫かな?遺伝しない?」

 

これらは、私の身近でよく聞くフレーズである。

それは、私たちが人間の向上を目指す中で誰しも持ち合わせているものかもしれない。

 

 

 


私と彼が出会って2回目の春、彼は右耳の突発性難聴を発症した。
朝、起きると突然右耳が聞こえなくなったのだ。

 

入院して1週間後、聴力が回復したと連絡がきたので病院へ会いにいった。

病室へいくと、彼は窓の外を眺めていた。
いつも手にしてる携帯電話がないためか、見慣れないパジャマ姿だったからか分からないが、私は彼に少し違和感を感じた。

 

 

「早く退院したいなぁ。

1人でじっとてると気が変になりそうだよ。

僕、このままひとりぼっちで死ぬんじゃないかな、、、、、」

 

 

と彼は寂しげにいった。
酒の入っていない彼が弱気な発言をしたことは今まで一度もなかった。

 

「死ぬときはみんな1人じゃん。みんな1人ぼっちだよ。」

 

と私が言うと、「そうだね」と彼は作り笑いをした。

 

私は自分の気持ちを伝える言葉が見つからなかったので、お見舞いに買ってきた
不二家のミルクロールケーキを出して話題を変えた。

このケーキは彼の大好物だ。

 


ケーキを食べながら私は考えていた。


人はみんな孤独で不安なものでしょ?

そして誰もが心に傷を抱えているし、誰にもいえない秘密を持っている

それは自分自身で折り合いをつけるしかないし

誰も痛みを肩代わりすることも理解することもできない


けれど、わたし達は楽しい時間を共有できている


それで十分じゃない?

 


退院したらこの気持ちを伝えようと思っていたのだが、彼は職場に戻ってこなかった。

 

私にはなんの連絡もなかった。私も連絡はしなかった。

 


彼は辞表を出して、妻と娘がいる地元に帰ったようだ。


彼が高校生の時、同級生だった妻と関係を用ち、授かり婚をしたそうだ。
妻には対しては愛情ではなく友情だと彼は言っていた。
単身赴任先から帰宅した際には、威厳のある亭主関白な旦那を演じているという。

たしかに妻と電話で話す彼の口調は、別人のように威厳のある逞しい夫なのである。

 

 

彼には妻と娘がいる。そこは彼の帰るべき居場所ではないのだろうか?

彼は妻への思いは友情だという。

しかし、私は彼の妻に対する思いこそ本当の愛情ではないのだろうかと考える。

たしかにシャンプーの香りがしそうな男の子に対する、激しい情熱的な愛はないかもしれない。

だが、遠くに住む妻と娘のために彼は入院するまで無理をして働いていたのではないか。


それは責任と義務と、僕しか男を知らない妻に対する同情だと彼は言っていたが


私は彼が妻と娘を静かに長く大切に思っていると勝手に推測している。

 


そして愛に性別など存在しないのである。

男と女は体の作りには確かに違いはあるが、心には男と女の違いはない。
心に対して白黒つけることは絶対にできないはずだ。

わたし達の心はつねにグレーゾーンではないだろうか。

 

私は生物学的には女である。
しかし、少女漫画や恋愛ドラマにはまったく興味がない。
それよりは、「半沢直樹」や「闇金牛島くん」など一般的に男性が好むドラマや漫画が好きだ。その一方で、一般的な女性が好むパンケーキやネイルや光り物が好きである。
私たちは色んな面があり、それはつねに変化していくのである。

 

 

そして、私の内面は自由であり、私のものだ。

もちろん、あなたの内面はあなたのものだ。

 

 

心理学者のフランクルは、第二次世界大戦中のアウシュビッツダッハウ強制収容所で、人間性が否定される状況を体験した。
その体験は「夜と霧」という本にまとめられている。

彼は収容所生活を送りながら、心理学者として人々や自身の行動や心のあり方を分析するのである。
フランクルは極限状態において人間が生き延びるときに必要なのは、未来への希望と内面の自由だと述べている。


現代では、将来こうでありたいから、今はこうするべきだと考えており、現在は否定され未来に奉仕する位置付けにある。

 


フランクルの実存的な在り方とは、
今現在の対象との関係に徹底的に向かいあうことと、そこから超越するということとの両方に支えられているものである。

 

実存するexistという言葉は、ex-sist(外へ向かってー立ち続ける)という意味を含んでいる。この立場からフランクルはロゴテラピーという方法を提案している。

ロゴテラピーとは「精神的なものから出発する」ものであるという。

 

自分に降りかかってきた状況の意味を探求するのみではなく、それをどのように解釈して意味づけに取り組むかといった人間の能動的な自由意思を重視するものである。

避けようのない状況の苦しみを受け入れつつ、それに対する決断性と責任性を取り戻すことであるという。

 

「自分を取り巻く状況が〇〇だから、自分はこうだ」ではなく「状況はこうである。それでもなお、自分はこうである」という思考である。

 

人からの評価や過去の状況から自分の価値を見出そうとするのではなく、自分に向かっていくのである。

 

 

 

私が彼と過ごした時間は長い人生のほんの少しだ。
彼の歩んできた険しい道のりも苦悩も本当の気持ちもほとんど分からない。


それでも、彼の人生はYesだ。


彼と過ごした時間は本当に楽しかったし、その記憶は脳に刻まれ私の人格形成に大きく関わっているに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

彼が失踪して半年後、私の携帯電話に一通のメールが届いた。
当時、流行していたモバゲーの招待状である。

当時は自分でキャラクターの髪型から服装までカスタマイズすることができた。
自分のアカウントを作成し登録してみると、彼のアカウントがでてきた。
彼の姿からは想像もつかないほど、人形のような可愛い女の子だ。

 

プロフィールには

〇〇才 女性 職業 〇〇系学生 趣味 スタバで読書、海辺でお散歩

 

と書いてあるのだ。
私は、吹き出してしまった。このプロフィールは私だ。

おまけにアカウント名まで当時の私のあだ名を使用していた。

 

モバゲーから彼にどういうつもりかとメッセージを送ってみた。


「これで男の子を釣るんだよ☆まずまずの収穫です(^ ^)」


とすぐに返ってきた。

 

理解不能だが、とりあえず元気にしているようなので安心した。

 

しかし、連絡があったのはこれが最後だ。

 


携帯電話も代わり、いまはもう彼と連絡をとることもできない。私は彼の名前すら正確に知らなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 


I don’t know everything about you.
I can’t understand everything about you.
I can’t spend a pleasant day with you forever.
Eternity does not exist in the world.
However,you are existing in my mind forever.

 

 

老人

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私達2人は縁側に座って、小さなオモチャの鯉のぼりを眺めていた。
風に揺られて、鯉は空中をヒラヒラ泳いでいる。


これは私が先週、彼女にプレゼントしたものだ。
鯉のぼりを出す家が少なくなったと彼女が嘆いていたからだ。
テッセンの花が植えてあるプランターに小さな鯉のぼりを飾った。


先週、私がプランターに挿した際には、父鯉と母鯉と子鯉の三匹いたはずなのだが、
風に飛ばされたのか一番上の父鯉がいなくなっていた。

 

私「あれ、お父さん鯉がいなくなってますねぇ。どこにいったんでしょうか。
シングルマザーになってますね。」


私がこういうと、彼女は溜め息をついてこう言ってきた。


「あんた、結婚するときは一番好きな人とは結婚したらいかんでぇ。」

 

彼女は現在80代で夫は数10年前に他界している。

 

私「それじゃ、〇〇さんは二番目に好きな人と結婚されたんですか」


彼女は首をまわして居間に飾られた亡くなった夫の遺影に目を向けた。


そして遺影を指差してこういった。


「あの人なんか、七番目くらいじゃわ」


私は思わず吹き出してしまった。
しかし、彼女の目は真剣だ。
彼女の話はいつも面白いのだが、本気で言ってるか冗談で言っているのか分からない。
そこがまたさらに面白いのだが。


「私の一番好きだった人は戦争で死んだよ」


彼女は視線を雲一つない青空へうつした。
目を細めて遠くを見つめている。


お、これはロマンチックな話が聞けそうだ、、、と私は少し期待した。


私「本当はその人と結婚したかったんですか?」


少し間が空いて彼女は口を開いた。

「いやぁ。あの人のことは好きだったけど、もし結婚してたら、毎日あの人に嫌われないように気を使って、自分の容姿や身なりにも気をつかって、自分らしくは生活できなかったわぁ。
その点、結婚した旦那はまこっとにブッサイクだったし、恋心もなぁんもなかったから、私は気を使うこともなく、好き放題さしてもらったわぁ。旦那の方は私にほの字だったからねぇ。」


そして彼女は視線をシングルマザーの鯉のぼりへとうつした。


私「な、なるほど。旦那さんはどんな人だったんですか?」


「なぁんも、面白みもないし、口数も少ない男だったわ。けど、私のことを大事にはしてくれたわな。
私が家事をおろそかにしようが文句一ついわんかったわ。財産も年金もたぁっぷり残してくれたし。
旦那が亡くなった後も、友達と旅行にたくさん出かけられたし、社交ダンスやら尺八やらで楽しませてもらったわ。」


彼女の顔には当時は美人だったであろう面影と自信が残っている。
そして彼女は夫に深く愛される才能を持っていたのであろう。


「一番好きだった人との思い出は心に残っとるから、美しい思い出は美しいままに残しておくのが一番いいんじゃ。」

と彼女は真顔で言った。


そして彼女は自分の両膝をさすりながら、いつものボヤキが始まった。


「この年になると体は痛いとこだらけで、どこにも行けんし、
子供も孫もひとっちゃ顔見せにもこんし、昔を思い出すくらいしかすることがないわぁ。
長生きもするもんじゃないわぁ。はよぉ死にたいわぁ・・・」


私「そうですねぇ。〇〇さんが死んだら、天国で旦那さんと初恋の人とどちらが待ってますかねぇ?」

 

彼女は少し考えてからこう答えた。

 

「そうだねぇ・・・。もし私が天国に行った時に10代の頃の私の姿なら初恋の人に会いたいけど、今のこのシワもぐれのバァサンのままなら、旦那でええわぁ。」

 

私「んーたしかにそれがいいかもですねー。旦那さん、首を長くしてまってますよ。
旦那さんに再会したら何っていいます?」


「そりゃぁ、「ずっと、あなたに会いたかったわー」って涙を浮かべていうわなぁ。
ほんで、あの世でも面倒みてもらおうかねぇ。」

と彼女は真顔で言った。


「人生長いと思いよったけど、この歳まであっという間やったわ。あんたもすぐ歳とるよ。」


彼女は震え上がるような恐ろしい言葉をいう。
私も気づいたら80代になっているのだろうか?


「子供なんて大事に育てても、大人になれば1人で大きくなったような顔して、私のことなんか知らん顔しとるわ。
この年になったら、体は痛いところだらけでどこにも行けんし、話するぐらいしか楽しみはないんよ。
やっぱり、一緒におしゃべりが楽しくできる相手が一番ええでぇ。だから、あんたは、はよ結婚せられぇ。」

 

私「そうですねぇ。つまり楽しくおしゃべりができて、自分が気を使わないくらいのそこそこの相手がいいということですね?」


こういうと、彼女は笑い出した。


「それがいいだろうねぇ。でも話するだけなら、できるだけ男前がええわぁ。」


私「そうですねぇ(笑)」

 

 

さて、こんな話をしてる私たちは天国にいけるだろうか?


天国から私たちの会話を彼女の夫が聞いていないことを私は切に祈るのであった。

 

 


Can you imagine what the person who stand by you will be like 50years later?

Are you enjoying your conversation?
Do you have a relaxing,comfortable time?