思想と行為が弾劾し合い心が宙に彷徨ったブログ

私の生きた軌跡をここへ残しておきます

青年期を生きる若者たち

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ティンカーベル/YUKI


ティンカーベル手をとって虹の向こうまで連れてって
暗い闇につかまれる前に
ティンカーベル 小さな夢 大人になれないまま
ティンカーベル 傍にいる ディスティニー
パパのガレージに 隠れて 話そう
週末の彼とのデート 力を貸してね
いつまでも変わらないことなんてないのに
彼女の長い髪は 永遠に輝く ネイビーブルー
瞳はアーモンド 私を見る
ティンカーベル 追い越した 景色だけ 変わってゆく
広い海に飲み込まれる様に
ティンカーベル 言わないで 終わりはあるってことを
ティンカーベル 踊っていたいのに
ティンカーベル 楽しかった 思い出を なぐさめれば
もう一度 会えるような 気がする こころに咲く
黄色い花 枯れてゴミに まみれていても
何度でも 水を そそいで

 

 

 

 

 

私はこの曲を聞くと青春時代を思い浮かべる。

 

 

ティンカーベル 小さな夢 大人になれないまま」

 

「ディンカーベル 言わないで 終わりはあるってこと」

 

 

 


まさに子供から大人へなりきれない心の葛藤を上手く表している。

 

 

 

 

子供から大人へ移行期、それが思春期・青年期と言われる時代である。

大人への移行期・過渡期であるゆえに、部分的には大人になりながらも、部分的には子供であり、また、子供でも大人でもない時期といえる。

 


エリクソンは、青年が、大人になるまでに社会的役割実験を重ねる準備期間を
「モラトリアム(心理社会的猶予期間)」とよんでいる。

 


下山晴彦は、自我の再構成の途上の青年期においては、自我境界が曖昧となり、他者との適切な心理的距離がとりにくくなる青年期の特徴をあげている。

 

 

 


ここでは、青年期後期(18〜22歳)に焦点をあて、みずからの青年期後期の体験を踏まえながら青年期の若者たちについて考えていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

18歳春。セーラー服を脱ぎ捨て、新しい土地で新生活が始まった。

 

 

 

 

入学式を終え、1ヶ月ほど経った頃だった。

 

 

 

教室では大勢が所々に輪を作り、ドラマの話やサークルの話に花を咲かせていた。

 

 

 


私は大勢で話をするのが苦手だった。

 

 


誰と話をしているのか、なんの話をしているのか分からなくなるのである。

 

 

自分だけが空中浮遊し、高所から皆を見下ろしているような奇妙な感覚に陥るのだ。

 

 

そして学生時代の私は周囲に合わせるということが苦手であった。

 


大勢で話をしている場面で、しばしば空想を始めてしまうのだ。
その姿はクラスメイトたちから人に関心がないように映っていたようである。

 


「話聞いてる?」「疲れた?」「人に興味なさそう・・・」
などとしばしば言われたものだ。

 

 


クラスメイトたちに興味がないこともないのだが、どうしても耐えられなくなり
みんなの輪の中からエスケープしてしまうのだ。

 

 

エスケープして教室の後ろへいくとそこに彼女(M)はいた。

 

 

Mは教室の隅で背中を丸めて1人で席についていた。

 

 

Mは瓶底眼鏡を着用し、乱れたログヘアーを後ろで一つに束ね、いつもジャージを着ていた。

 


そして、教科書を広げてブツブツブツブツ呟いていたのである。

 


私はMに興味が湧いたのだ。

 


Mの隣の席に座り、ブツブツ唱えている呪文に耳を傾けてみたが、聞き取れない。

 

 


声をかけてみるがこちらを見ようともしないのだ。

肩を叩いてみるとこちらに顔を向けるが、視線が合わない。

キョロキョロと挙動不審なのだ。

 

 

 


Mはいつも勉強をしているのだ。
休み時間は勿論だが寮にかえっても寝るまで勉強していた。

 

 


しかし、その勉強の成果は出ていないようでテストではしばしば追試を受けていた。

 

 

 

 

Mとは対照的に私はこの頃、勉強に対する意欲が全く湧いてこなかった。

 

 

 

 

 

授業にはサボることなく出席していたが、授業内容など耳に入っていないのである。

 

 

 

授業中、何をしていたかを言えば、友達が意気揚々と話す恋話やネタ話を空想しながら漫画を書いていたのだ。ほとんど変人である。

 

 

 

しかし、その漫画はとても好評で、クラスメイトからのリクエストが後をたたなかったため、とても忙しかった。

 

 

ある日、授業中に隣の席の男子が先生の似顔絵を書いてくれと頼んできたのだ。

 

 

私は彼のご要望通りに絵を書いた。少しユーモアを加えて。

 

 

出来上がった作品を先生の目を盗み、彼に渡した。

 

 

あろうことか、彼は大きな声で笑ってしまったのだ。

 

 

もちろん私たちは先生に怒られた。

 

 


そして、人生で初めて反省文を書かされる羽目になったのだ。

 

 

 


このようにして、私の漫画家生活は呆気なく終わりを迎えてしまったが、

授業中に空想の世界へ浸る日常は4年生になるまで続いたのであった。

 

 

 

 

 


エリクソンは標準的な青年期の危機として自我同一性拡散を挙げている。

 

 

その心理的特徴として

 


①将来の見通しが喪失し、自分が幼くなった感じや老いた感じをもつ時間的展望の拡 散

 

②一般社会に相反するものを過大評価し、それを自分の拠り所として、そのメンバーに加入する否定的同一性の選択

 

③優柔不断になり自意識過剰になったりと他者の目に気を配る自意識過剰

 

④進路や職業選択などの決断力が欠如し、勉強や仕事の集中力も欠如する選択の回避と麻痺

 

⑤親密になったり離れたり、孤独になったりという対人関係上の距離が一定に保てなくなる対人距離の欠如

 

⑥将来の目標と繋がる勉学や仕事に集中できず、幼稚な遊びや読書にふける勤勉さの欠如

 

 


エリクソンは青年期の特徴とその発達課題をアイデンティティの確立とした。

 

 

アイデンティティとは

 

「過去から未来につながる自己の連続性の感覚であり、そのなかでさまざまな役割を果たしながら、自分は一貫した自分であり、社会の中で確固たる承認を得ている」

 

という感覚である。

 

 


青年期は「自分とは何者であるか」という模索と葛藤を繰り返す時期なのだ。

 

 

 

 

 

私達は寮で生活を共にしていた。

 

 

毎朝、8時前になると、寮の廊下にガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャと大きな音が鳴り響く。

 

 

ドアノブを動かす音だ。

 

鍵が閉まっているかどうかの確認なのであろうがあまりにも長い。

 

 

私は、部屋から出てその音の犯人を突き止めようとした。

 

 

犯人はMだった。

 

 

なぜ何回もドアノブをガチャガチャするのかと私はMに尋ねた。

 

 

Mはなにも答えないのである。

 

 

 

そのまま、学校へ向かって歩き出したので、私も一緒に登校することにした。

物凄い早歩きでMは歩く。

話しかけても私のことを無視してひたすら歩くのだ。

 

 

学校まであと数メートルになった時、Mはクルリと向きを変え、寮に向かって走り出したのだ。

 

 

私はMの後を走って追いかけた。


Mは寮に戻り、部屋の鍵を開け中に入った。

私もその後について部屋に侵入したのだ。

 

 

Mはブツブツ呪文を唱えながら、電気、ガス、水道の指差し確認を行った。

その後、部屋を出て外から部屋の鍵を閉めた。

 

 

ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャとドアノブを何度も動かし、施錠の確認を行うのだ。

 

 

そして、また学校に向かって早歩きを始める。

 


学校まであと数メートル。Mはまた立ち止まった。

 

全部閉めてたよ。と私が言ってもMはブツブツと呪文を唱えていた。

 

私はこのままでは埒があかないと思い、Mを引っ張って学校へ連れていったのだ。

 

 

 

 

 

この日から私達は一緒に登校するようになった。

 

毎朝、私はMの部屋へ行き、水道が出ていないか、ガスの元栓は閉まっているか、電気は消しているか、鍵を閉めたかを携帯電話の動画で撮影するのだ。

 

 

Mが不安になった時にこの動画をみせるためだ。

 

 

 

毎日、共に過ごしていくうちにMは目線が合うようになり会話できるようになった。

 

 


Mは私を「生まれて初めてできた友達」と言った。

 

 

 

Mは赤ん坊の頃、小さな物音で泣き出したり、知らない場所に行くと癇癪を起こしたりと神経質な気質があった。そのため、母親は育てにくさを感じていたそうだ。

 

 

成長しても、物がきちんと並べられていないと落ち着かなかったり、家の鍵が閉まっているのかを気にしてチェックを繰り返したり、家の中の汚れを気にするような子供であった。

 

 


小学生になり、イジメが始まった。

中学、高校とどこへいってもMはイジメを受けたのだ。

 

 

特に高校生の頃のイジメは酷かったようで、彼女につけられたあだ名は汚物だ。

 

陰険なイジメ行為は生徒のみではなく担任からも行われた。

 

 

教室でいつも下を向いて過ごしていたMの背中は曲がり、老婆のように曲がった脊柱はもう真っ直ぐ伸ばすことができないのだ。

 


高校二年生の頃、クラスで盗難事件があり盗難された物がMの机の中で見つかるという事件があった。

 

この頃からMは、帰宅後、何度も手洗いをすることが始まり幻聴に苦しめられるようになった。

 

「お前はみんなに嫌われている」「汚い」「死んでしまえ」と耳元で囁く声が聞こえたのだ。

 

学校から帰ると繰り替えされた手洗いは脅迫観念といわれるものだ。

 

学校から家に帰るという場面が刺激状況となり、自分は汚染されているという脅迫観念が頭に浮かぶのだ。

 

 

そしてMは手洗いをせずにはいられないのである。

 

自分は汚いのだという認知は、生理的な強い不快感を引き起こした。

 

手洗いを行えば、一時的には不快感や不安感は減少する。

 

しかし、それは一時的な回避にすぎないのだ。

 

 

 

 

 


夏休み、Mの母親の強い要望を受け、私はMの実家へと泊まりに出かけた。


高速バスを降り、待ち合わせ場所に行くと、真っ黒に輝くベンツが止まっていた。

 

その車から色付き眼鏡をかけ、首に金のネックレスをつけた強面の男性が降りてきた。


私は危険を察知し、視線をそらした。

 

するとベンツの後部座席からMが降りてきたのだ。

 

私はすぐに笑顔を作り、Mの父親へ挨拶をし、手土産を渡した。

 

車中はなんとも重苦しい空気だった。

後部座席の私の隣に座ったMは緊張した面持ちでお行儀良く座っているのだ。

 

そして父親の問いかけに対して、Mは全て敬語で答えるのだ。


Mの父親は、私達をさまざまな観光名所へと連れて行ってくれた。

 

私は、ベンツの後ろにピタリとついてくる二台の車が気にはなったのだが、それを聞く勇気は持ち合わせていなかった。

 

 

 

観光を終え、Mの家についた。私達を送り届けるとMの父親は姿を消した。

Mの家は古風な大きな家だった。

 

 

庭にあった池には色とりどりの鯉が泳いでおり、小さな滝まであった。

 

手入れの行き届いた美しい庭園に私は心を奪われたのだ。

 


家の中に入るとMの母親が出迎えてくれた。

なんとも儚げな美しい女性で、私を心から歓迎してくれた。

夕食にはフランス料理のフルコースのような手料理を振舞ってくれた。

 

 

 


私が滞在している間、Mの母親は一度も私の前で座ることがなかった。

私に料理を出した後はリビングやキッチンをピカピカに磨き上げていた。

屋内を常にせわしなく動き回っていたのだ。

 


Mの母親は何度も何度も私にお礼を言った。
「Mちゃんと友達になってくれて本当にありがとう。」

 

 

 

 

 


Mは寮にいるときでも、毎日、母親と電話をしていた。

 

 

Mは何をするときでも母親に確認を取らなければ、なにも出来ないのだ。

 

 

 

本来、この時期は、思春期以上に親との心理的距離は遠のき、親との別の世界を作りげていく。


また、親には言えない秘密を持ち、それを保持しながら心理的距離をもつようになる。

 

 


小木啓吾は、「秘密を自分の中に保つということは、親からの分離と自立の過程のなかで非常に重要な問題」と述べている。

 

 

 

母子密着が強い場合には、親からの分離過程が進みにくいのだ。

 

 

もちろん、子供たちの衣食住の基本は家庭にあり、様々なチャンスを子供に与えることは当然だ。しかし、親は親であり、子供は子供なのだ。

 

 

子供は決して母親の分身ではない。

 

 

親も子供も協力して成長していく姿勢が大切であり、子供の自主性を尊重し、相手を見守る姿勢が大切なのだ。

 

 

 

そして、子供はよく親を見ている。

親の背中をみて、それを真似することから子供は成長しはじめていることを覚えておかなければならない。

 

しかし、必ずしも親が規則正しく社会の模範である必要はない。

 


親は子供に嘘偽りなく正直に話をして、自分が人生を楽しく生きている姿を見せることが大切ではないだろうか。


そして、子供が巣立ちを迎える時には、親はタイミングよく子供の背中を押してやるべきだ。

 

 

 

子供もいつまでも親にとらわれてはいけない。

親も1人の人間として精一杯生きているのだから。

 

 

 

 

 


Mは私達と過ごしていくうちに、母親に相談することが少なくなり、母親に秘密を持つようになった。

 

Mは友達と遊ぶという経験が無かっただけでなく、マンガやドラマ、インスタント食品なども口にしたことがなかったのだ。

 

Mの母親がMのためを思って禁止していたのであろうが、私はMを誘惑した。


カップラーメンを始めて食べた時のMの感動した顔をいまでも覚えている。

 

私は彼女が見せる新鮮な反応がとても好きだった。

 

 


そして、カラオケ、映画、居酒屋、ショッピングモールなどさまざま所へ一緒に出かけた。


Mにとってはすべて初めての体験だ。


新しい場所へ出かけるたびに想像のはるか上をいく行動をMはみせる。

 

 

 

 

 

夏休み、女友達数人で海へ出かけた。

 


20才の女性といえば、子供の可愛らしさも残しつつ、大人の色気も増してくる時期だ。

 


皆、この日のためにダイエットを行い、我こそはナンバーワンだと自分に似合うビキニ姿で現れるのだ。

 

 

このように他人の目を意識し自意識過剰になるのもこの時期の女性に特有のものであろう。

 


そこへ名前の入ったスクール水着で水泳キャップを被ってMは現れたのだ。

 


他人の振りをしたくなるようなレベルであったが、幸い、私は二着水着を持ってきていた。

 


可愛い系のビキニかセクシー系のビキニかどちらを着るべきか海に着くまで迷っていたからだ。

 


Mはセクシーな黒レースのビキニを着用する事になったが、瓶底眼鏡にはなんともミスマッチであった。

 

 

 


遊びにはコミュニケーションや自分への気づきに繋がるような、人の成長に不可欠な要素が秘められている。

 

 

 

D.W.ウィニコットは「遊ぶことと現実」で「遊び」および遊戯療法について述べている。

「遊びこそが普遍的であり、健康に属するのである。すなわち遊ぶことは成長を促進し、健康を増進する。また、遊ぶことは集団関係を導く。また、遊ぶことは精神療法のコミュニケーションの一形態になりうる。」

 

 

 

 

 

 

実際、Mは「遊ぶ」ことによって性格も明るくなりクラスとも馴染んでいった。

 

そして2年生になるころには幻聴や脅迫観念はほとんど無くなっていた。

 

そして、以前より勉強に費やす時間が減ったにも関わらず、Mの学業成績は向上したのだ。

 

 

 

 

 

私達は寮で生活を共にしていたが、部屋は鍵付きの1DKであったためプライベートな空間は確保されていた。

 

 

当時、私は自分から誰かの部屋に遊びに行くことはほとんど無かった。

 

 

人の部屋や家に行くことは、その人の世界に入っていく気がしてなんとなく落ち着かなかったのだ。

 

 

これも私が自分の世界に生きていた証拠かもしれない。


しかし、自分の部屋に誰かが入ってくることには不思議と抵抗はなかった。

 

 

私は自分が部屋の中に居ても居なくても部屋に鍵をかけることは一切しなかった。

そのため、友人たちはいつでも私の部屋を尋ねてきた。

それが、深夜でも早朝でもいつでもだ。

 

 


私は当時、バイトを3つ掛け持ちしていたため、部屋にいることは少なかった。

 

 

なぜ、そんなにバイトをしていたかと言えば単にお金が無かったからだ。

 

 

学費は奨学金で支払っていたが、生活費はアルバイトで捻出する必要があった。

 

 

私の父は「女に学問など必要ない。どうせ結婚したら仕事も辞めるのだから」

と私の進学には反対していた。

 

 

母は私の進学を望んではいたが「自分のお金で勉強しないと遊んでしまうでしょ?」と私に言った。

 

 

 

私は高校進学の際、第一志望の学校の推薦入試が決まっていたにも関わらず両親の反対で諦めていた。

 

第一志望の学校は学費が高いうえに全寮制であった。

 

その時、両親は女の子が高校から家を出るのは心配だと私に言ったのだ。

 

 

 

けれども私は知っていた。

 

 

 

高校進学の際も、この時も、両親が自己愛が強い兄のためにお金を費やしていたことを。

 

 

親はしばしば正当な理由を並べて子供に嘘をつく。

 

 

 

けれども、子供はその嘘を案外見抜いていることを知っておかなければならない。

 

 

 

 

 

話を元に戻そう。

 

 

 

バイトから部屋に帰ると誰かが部屋にいることが多かった。

 

 

 

彼女たちは私の部屋でテレビを観ていたり、寝ていたりと自由に過ごしていた。

 

 

料理や洗濯をしてくれていることもあった。

 

 

Mはしばしばゴム手袋をつけて、私の部屋の水周り(トイレ、お風呂、洗面所)をブツブツ呪文を唱えながら掃除していた。

 

 

しかし金曜日はバイトから帰っても誰もいないことが多かった。

 

 

何故なら、金曜日は華の金曜日だからだ。

 

 

青年期の男女は金曜日を大切な誰かと過ごすことが多いのだ。

 

 

 

その反面、土曜日は訪問者が多かった。
彼女たちが私の部屋に尋ねて来るときは何か理由があった。

 

 

拒食と過食に苦しんでいたある友人は過食衝動が起きると私の部屋に訪れた。

 

この時期は、精神的にも身体的にも発達加速状態であり、拒食症・過食症に苦しむ女性は意外と多いのだ。

 

 

彼女たちの過食や嘔吐の背後には何かがあるのだ。

 

 

彼女たちに、食べることを強制したり、食べることを制止したりすることは逆効果だ。


それよりも、拒食傾向が強い時には一緒にカロリーの低い食事をしたり、過食傾向の強い時には、一緒に時間を過ごし衝動を和らげることが効果的だった。



 

 

 

 


上記はイレギュラーだが、一番多いのが恋愛話だ。

 

 


彼女たちは恋人とのロマンチックなストーリーを饒舌に語ったり、恋人への不満や不安を私に語るのだ。

 

 

私は彼女たちの話に共感したり反論したりといったことはしないようにしていた。
向こうから意見を求められた時のみ、私は意見を述べるのだ。

 

 

意見を述べると言っても、それは私の考えではない。
彼女たちが私に言って欲しいと心の中で思っている意見だ。

 


私の悪い癖は彼女達の話を聞きながらついついイメージしてしまうことだ。

 

 

彼女たちの恋人が私の見知らぬ誰かの場合は問題ない。
友人の恋人役として、私の理想的な男性像を脳内に映し出すからだ。

 

 

それはなんともロマンチックで、恋愛モードの彼女たちが羨ましく思えたりするのだ。

 

 

しかし、友人の恋人が知人となると私は困るのだ。
彼女たちは、自分の恋人を私へ紹介したがる傾向がある。

 

 


その様子は自分の宝物を大人に見せたがる子供によく似ている。

 

 


私としては、彼らには興味が湧かない上に、彼女たちの恋人はリアリティが強すぎてイメージの邪魔になるのだ。

 


ロマンチックなラブストーリーがコメディに変わり、彼女たちの真剣なラブロマンスを笑いに堪えながら聞くことになるのだ。

 


決して笑ってはいけないと思うほど面白くなってくるのは人間の悲しい傾向である。

 

 

 

 

 

 

Mは私とは対照的に部屋に誰かを入れることを強く拒んだ。

 

四年間の寮生活の中でMの部屋に入れるのは、朝の点検作業のときのみだ。

 

 

 


自分の部屋は安心して1人になれる時と場として大切な空間であるかもしれない。

 

 


しかし、この時期の青年たちにとって仲間を感じる場もとても重要だ。

 

それは同年代の友人が集まり、互いに仲間意識をもってつながりあえる場所である。

 

時に、それは秘密の共有という形になって現れてくるだろう。

 

青年たちは秘密を共有することにより更に仲間意識を強めるのだ。

 

 

 


SNSの普及は、このつながりあえる場所をバーチャルな場へと展開させた。

 

 

いつでもどこでも誰とでも繋がれるこの時代に、表面的な友情はもはや必要ないのだ。

 

青年たちは自分の時間を大切にすることができ、本当の人間関係を大切にすることができるのだ。

 

けれども、直接会って互いの顔を合わせ、相手の雰囲気を感じ、言葉には現れていない言葉を聞くことにも大きな意味があると私は考える。

 

 

 

 

 

 


私達は365日のうち最低300日は顔を合わせた。

 

Mは私に心を開いてはいたが、ネガティブな発言が多く、時には私に敵対心を向けることもあった。

 

 

Mの合言葉は「どうせあたしなんて」「〇〇はいいね。うらやましい」「わたしにはできない」「無理」だ。

 

 

Mにはまだ自信が足りなかった。


新しい体験をして楽しむことよりも、失敗したり、嫌な思いをするくらいなら何もしないほうがマシだと思っていたのだ。


Mが長年経験したイジメというトラウマ体験はMを回避的な性格へと導いていた。

 

 

本人にとって逃げ場のない苦痛な経験をすれば無意識に人はその行動を避けるようになる。

 

 

Mは心のそこでは人との関わりを強く求めていたが、人間に対する不信感が勝ってしまっていた。

 

 

そして自分は誰にも愛してはもらえないと強く思っていたのだ。

 

 

 


そしてMはどこか影のある印象を人に与えていた。

 


見た目にも問題があったが、態度や物腰もおどおどして自信にかけるのだ。

 

 

それはMに対する回りの態度や評価が強く影響していたのであろう。

 

 

 


私はMをプロデュースした。

 

 

 

瓶底眼鏡をコンタクトレンズに変え、知り合いの美容師の所へ連れて行き、髪型・メイクをレクチャーしてもらい、服や装飾品を大人買いに出かけた。

 


私はバイトに精を出す働きマンであったうえに、しばしばチップを貰っていたのだ。

 

 

そのため、毎月かなりの収入を手にしていた。

 


良く言えば、気前がいい人間であったが、悪く言えば金遣いの荒い計画性のない人間であった。

 

 

周りの大人たちは貯金するように私に勧めていたが、私は1円も貯金はしなかったのだ。

 

 

 


少女漫画のような展開だが、Mは変身を遂げた。

 


Mはもともとの顔立ちも実は美人だったのだが、私のプロデュースにより正真正銘の美女になったのだ。

 


人間なんて皮一枚剥げば大した差はない。

 

 

年を取ればみんな似たようなものである。

 

 


しかし、人が美しさに魅力を感じるのは紛れもない事実なのだ。

 

 

 


事実、Mを取り巻く環境は大きく変わった。

 

 

 

 

 

Mは人生初めての合コンであっさりと恋人が出来たのだ。

 

 

 

変身前のMを男子たちは妖怪、火星人、異星人、不気味などと表現していたが、見た目がフルモデルチェンジしたMはモテていた。

 

 

 

男子たちはMを100年に一度の奇跡、天然、初々しい、姫などと表現したのだ。

 

 

 

見た目が変わるだけでこれだけ人の評価は変わるのだ。
そして周りの態度が変わればその人も変わる。

 

 

 

特に女性にとって異性からの承認はとても大事なことかもしれない。

 

 


恋人が出来てからのMは美しさに更に磨きがかかったのだ。

 

 

 


そしてMは笑うようになった。

 

 


Mが初めて笑った時、私は驚いた。

 

言葉では表現しにくいのだが、なんともいえない奇妙な笑い方なのだ。


街中でMが笑うと周りの人がこっちをふり向いてしまうようなレベルだ。

 


無理もないかもしれない。

 

 

Mは何年も笑っていなかったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

私達は4年間の学生生活を無事に終えた。

 

 

 

 

 

Mは無事に卒業し、恋人の住む街での就職活動も成功を納めた。
(変身前のMは何度かバイト面接にいき、すべて不採用だったが、変身後は一発採用されたのだ)

 


私は4年生の後期に勉学に目覚め、卒業式では成績最優秀賞を頂いたのだ。

 

さらに協調性も身につけ、話の途中でみんなの輪からエスケープすることも無くなった。


そして空想の世界へ行くこともほとんど無くなったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

わたしたちは大人になった。

 

 

 

 

 

わたしたちは悩み苦しみ、自分のアイデンティティの破壊と再生を繰り返し、自分の道を切り開いたのだ。

 

 

 

 

この過程を助けてくれたのは共に歩んだ友人たちであり、先を歩いていた大人たちだ。

 

 

 

特にアルバイト先で出会った大人たちは私を大きく成長させてくれた。

 

 

 

両親が何不自由なく私に与えてくれていたとしたら、私はこのような経験はきっとできていなかったであろう。

 

 

 

 


人のつながりは、鎖のように硬いものではなく、柔軟性のあるしなやかなものであると私は考える。

 

 

私は、人体の柔軟な関節構造にそのヒントをみる。

 

 

人の体は、強い衝撃を受けても簡単には怪我をしない。

 


子供が階段から落ちても無傷でケロリとしているのは関節に遊びが存在するお陰だ。

 


関節の遊びは骨運動を円滑にしたり、外力を吸収したりするために関節になくてはならない「余裕」ともいわれる動きである。

 

骨と骨が強固に連結していたのなら、衝撃を吸収し簡単に骨は折れてしまうだろう。

 

 

強い衝撃にも対応できる柔軟性をもち、個別的な存在でありながら、いざというとき支えあえるのが人とのつながりではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 


卒業して、私達は離れ離れになった。

 


滅多に会うこともなくなったが、最近では誰かの結婚式で集まる機会がたまにあるのだ。

 

 


女が集まれば、恋愛話に花が咲くのだ。
けれども、若い頃のようなロマンチックな話ではなく現実味を帯びた話だ。

 

 

 

 

 

後青年期(22〜30歳)の発達課題は、

結婚・家庭の形成 社会的役割の安定 だ。

 

 

 

 

 

 


特に女性は仕事のバランスと恋愛のバランスが狂うときかもしれない。

 


彼女たちの話には焦りと不安が見え隠れするのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

この間、幼馴染と遠出した。

 

彼女は就職した当初から寿退社する日を夢みて婚活に励んでいた。

 

その夢が叶い、遠くへ引っ越すことになったため、独身最後のドライブへ出かけたのだ。

 

 


「女子的価値の高いうちに仕事ばかりしていてどうするの!!!」
と興奮気味に彼女は私に説教を始めた。

 

 


私はこのような話題が苦手だ。

 

 

早々に切り上げたい話題であったので、
「私はそんな市場価値はないから」と笑ってスルーしようとした。

 

 

しかし、この発言は幼馴染を更にヒートアップさせてしまった。

 

 

「女の市場価値は周りが決めるものなの。自己申告制じゃない!!!
女の価値は年齢とともに下がるの!女の幸せは結婚相手で決まるの!!
今の仕事ずっとしていくつもり?」

 

 

 

私は運転席の窓を開け、気持ちのいい春の潮風を車内に入れた。


幼馴染の質問を華麗に風に流したのだ。

 

 

 

 


果たして女の価値とはなんなのだろうか

 

 

 

女の幸せは結婚相手で決まってしまうだろうか

 

 

 

 

私にはまだ分からない。

 

 

 

現実をみていないわけではない。友人の言うことも理解できないわけでもない。

 

 

 

自分の選んで行くものが将来と直結していくのは私がもう子供ではない証拠だろう。

 

 

 

 

けれども非現実的なものに惹かれ、非現実的なものに美しさを感じずにはいられないのだ。

 

 

 

 

それは、例えば大浦天主堂のステンドグラスのような儚い美しさに

中原中也の叙情的な詩の美しさに 私はついつい魅了されてしまうのだ。

 

 

 

私はまだ空想の世界から出ることができていないのかもしれない。

 

 

 

 


未来については分からない。
けれども、未来が良い方向へ進むという自信が私にはあるのだ。

 

 

 


幼馴染は何も答えない私にこう言った。
「ま、結婚してもたまには遊んであげてもいいけどね」

 

 

ツンデレでなんとも可愛い女である。

 

 


私達は結婚すれば名前すらも変わってしまうような生物だ。

 

 

 

けれども、静かに続いていく変わらない友情が私の未来に確かな自信を与えてくれるのである。

 

 

 

 

 

 

 

まとまりの悪い記事になってしまったが、
私が青春時代によく聞いていたRADの曲で今回の話を終わりにしたいと思う。

 

 

 

 

青い春/RADWINPS

 

終わりは始まりなワケであって へコむ暇などないワケであって
でもそれが人生のイイとこなんだって
誰かから聞いた気がする

いつも自分を持って生き きっとそれがカッコいい
みんなはそういう人だから 僕は好きなんだ

いつか別れがくるなんて 考えても 何も プラスに働きはしない
だから共に生きよう 今を 青き春を

この今とゆう時に この今とゆう場所で
この今とゆう素晴らしい季節に みんなと出会えた 喜びは

何にも代えられることは できないよ僕の力では
他の誰でもなく絶対に あなた達と 生きていきたい

何にも代えられることは できないよ僕の力では
他の誰でもなく絶対に あなた達と 生きていきたい

 

 

Save me, if you were there
I guess I don't have to sing this kind of song
but Save me, let's sing together
and we'll be as one for now and forever