思想と行為が弾劾し合い心が宙に彷徨ったブログ

私の生きた軌跡をここへ残しておきます

スピーチ(少し改訂)

 

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◯◯さん、△△さん、ご結婚おめでとう!

 

 


このようなおめでたい席で一緒にお祝いできること、心から嬉しく思います。
私は、新婦の大学時代からの友人で、◇◇と申します。

 

ご指名により、誠に僭越ではございますが、友人代表としてお祝いの言葉を述べさせていただきます。また、新婦のことは普段、△△、と呼んでいるので、本日も親しみを込めてそう呼ばせていただくことをお許しください。

 


△△と私は、大学時代の4年間を一緒に過ごしました。
学校ではもちろん、放課後も休日も、寝るとき以外は時に寝る時も一緒に過ごしました。△△はアイスばかり食べる私の体を親以上に気にかけ美味しい料理を作ってくれました。また私の長い髪の毛をとかし美容師顔負けの腕前でヘアアレンジをしてくれました。4年間の2人の思い出を話せばきりがないほどで△△の事をだれよりも知っているのは私だと自負しております。

 

 

結婚式という場は、新婦を誉め上げるものだと聞いておりますので、私も慣例に従い、私から見た△△の素晴らしい点をお伝えしたいと思います。

ウエディングドレスよりも白く美しい△△の外見的な美しさや全国大会にも出場した△△の柔道の腕前は見てお分りだと思いますので割愛いたします。

 

 

△△の良いところの一つ目は「努力家」ということです。


△△は本当に文武両道の人間で、勉強を疎かにすることなく遊びもアルバイトもそつなくこなしていました。

私は1番近くでその姿を見ていましたが疲れているという印象がまったくなくいつも楽しんで努力していました。

結果として実習も国試もなんなく合格していましたし、アルバイトでも正社員がおこなうような重要な仕事を任されていて驚きました。
△△の何事にも真摯に向き合う姿勢と努力の賜物だと思います。

 

二つ目は「不屈の前向きさ」です。

私は落ち込んだ時にはよく学校の食堂で机に突っ伏していました。そんな時△△はいつも笑顔で私の側にやってきては冗談をいって笑わせてくれました。極端なもので△△の冗談を聞けば私は一瞬で元気になったものです。

今思えば、私はいつも△△が元気づけに来てくれるのを待っていた気がします。

△△は暗い部分よりも明るい部分に目を向けることが自然にできてしまいます。そしてチャンスがくれば全力でそれに取り組みチャンスを自分のものにしていました。△△の不幸に屈さず、自分で未来を作っていく強い力、強い行動力は本当に今でも尊敬しています。私は△△にものの見方しだいで幸せになれること、前向きに生きることの大切さを教えてもらいました。

 

三つ目は「思いやりの心」です。

ここのいる皆さんならお分かりだとは思いますが、△△は並外れて思いやりに溢れた心の優しい人間です。例えるなら聖母とでも申しましょうか。人を疑ったり利用したりすることは決してなく、人徳を極めた聡明な女性です。身近な人を大切にするというのはそう不思議ではないかもしれませんが、△△は赤の他人にでも平等に親切に接します。その親切が自分に不利益を被るとしてもです。人の幸せを本気で願える人間です。そして△△はよく気が回ります。人の心に敏感すぎるがゆえに困っている人をほっておけないのでしょう。

そこが私が△△を尊敬してやまない所であり、心配な所でもありました。

 

そんな△△が〇〇さんを紹介してくれた日の事を昨日のことのように覚えています。その日は朝からソワソワして落ち着かず、△△の父親にでもなったような気持ちでした。初めて〇〇さんを見たとき、穏やかでとても誠実な印象を受けました。△△が私に話してくれていた通りの人で安心したのを覚えています。
私と△△が話しているとき、△△に穏やかな愛情深い笑顔を向ける〇〇さんを見て、ああ素敵な人と縁があったんだな。

引きよせの法則で素敵な人同士が結ばれたなと温かい気持ちになりました。

 

結婚生活は楽しいことばかりではないと思います。違った人間同士が共に生活をするのですから当然でしょう。相手の気持ちが分からなくなる時もあると思いますし、時には嫌いになることもあるでしょう。

私と彼女の付き合いはもう10年を超しました。けれど、未だに新しい発見がありますし、私は出会った頃より彼女がずっとずっと好きです。

お互いを研究しあい、正しく愛し合うためには一生をかけても時間がたりないくらいでしょう。

老夫婦の寄り添う姿というものは本当に本当に美しいものです。

最後に私の好きなロミュビルスの名言を紹介させてください。

 

 

 

 

‘男と女が結婚したときには、彼らの小説は終わりを告げ、彼らの歴史が始まる。’

 

 

 

 

〇〇さん、△△ちゃんの未来が素晴らしいものであることをお祈りいたします。

 

本日は本当におめでとうございます。
みなさまご静聴ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生の晴れ舞台で私にスピーチをさせてくれてありがとう。

 

昔、夜の海の堤防に腰掛けて明け方まで話をしたことがあったよね。

サンダルを半分脱いで足をブラブラさせてたら右足のサンダルが夜の海に消えていったね。

100均で買ったピンクの便所サンダルでさ。

私が夜間徘徊するときのトレードマークだった。

 

 

私「どうやったら、あなた様のように人を上手に愛せますかね」

 

△「なんでなんだろね??愛人顔だから無理くさい?」

 

私 「意味不明」

 

△「不幸が幸せ的な」

 

私「意味不明」

 

△「幸せが不幸的な」

 

私「意味不明。もう適当だろ」

 

△「どうでもよくなってきた」

 

私「どうでもよくなってきた」

 

△「スタBBAする?」

 

私「まだ始発でてない」

 

△「始発まで歩く?」

 

私「サンダル片方ない」

 

△「裸足で歩けば?」

 

私「あ、なんか裸足気持ちいい。裸足のゲン。」

 

△「ババアになっても一緒にスタバ行こうねゲン」

 

私「りょ」

 

 

 

 

 

 

 

私のママ活

 

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ゴルフ場の芝は冬にむけて色が変わり、
悲愴感が漂っていた。


肌にまとわりついていた夏風も
すきとおってしまいそうな秋風に
変わりかけていた。

 

そんな10月の日曜日だった。

 

私とママはゴルフ場で出会った。

 

その日、私がキャディーとして付いた客は
50代男性3人に女性が1人のメンバーだった。

 

ゴルフ場ではこういった組み合わせは
珍しくはない。

 

こういった組み合わせの場合、
女性は夜の仕事のママであることが多かった。

 

こういったメンバーに付くと
キャディーの仕事は比較的楽だ。


水商売のママはコースを知りつくしているし、
キャディーより周囲に気が回る。


男性もママを連れていると
男性同士でラウンドする時より
紳士的に振る舞う傾向が強い。

 

この日、彼女はキャディーが
行うべき仕事をこなしてくれただけでなく、
コースの特徴やキャディーの心得まで丁寧に、
時には厳しく私に指導してくれた。

 

彼女の見た目は30代後半といった所だ。


小顔に大きな猫目。


ゴルフ焼けした肌には
ショートカットが良く似合っていた。


小柄で華奢な骨格に
程よく筋肉がついた体は
大人の女の色気を漂わせていた。


特に私は彼女の声が好きだった。

 

彼女はハスキーボイスで
とても落ち着いた品のある話し方をしていた。


それは私の耳に
とても心地が良いものだった。

 

ラウンドが終わった後、
彼女は私に一枚の名刺を差し出した。

 

それはスナックの名刺だった。

 

そこには手書きで電話番号が書かれていた。

 

「困ったことがあったら いつでも電話しておいで」

そういって彼女はゴルフ場をあとにした。

 

 


私は特に困ったことは無かったが、
彼女にまた会いたくなった。

 


名刺を貰って数日後、
名刺に書かれていたお店を訪ねていった。

 


街は夜色に包まれて、
闇の底に様々な店の看板の灯りが
点々と煌めいていた。

 


夜の街は
青や赤やピンクが星のように散りばめら、
その中を華やか装いの蝶が飛んでいた。

 


私は幻想的な世界に足を踏み入れた。

 

彼女のお店は幻想的な
クラシカルな雰囲気が漂っていた。

 

薄暗い店内は金や銀のシャンデリアで白く光り、
カウンターの隅には百合の花が飾られていた。


カウンターを挟み、
華やかな若い蝶たちと男性たちが
楽しげに話をしていた。


彼女はカウンターの1番奥にいた。

 

彼女は私をみて

 

「本当にきたのね」


と少し驚いていたが、快く歓迎してくれた。

 

彼女はブランデーの水割りと
チョコレートを私に出してくれた。

 

ブランデーは「ヘネシー」のXOだ。

 

私はブランデーを好んで飲むことは無かったが
これは一口飲んで気に入ってしまった。

 

XO特有のフルーティな甘い香りと
舌に絡みつく滑らかな舌触りが最高だった。

 

XOとチョコレートとの相性が抜群だ。

 

彼女はヘネシー
私のためにボトルキープしてくれた。


葡萄の模様があしらわれた、
くびれた美しいデザインのボトルには
私の名前が書かれたタグがつけられた。

 

私はそれを見て彼女のお店の常連客になったような
心地よい気分になった。

 


カウンターの後ろにはタグが掛かったボトル達が
上品に自己主張して並んでいた。

 


彼女の店は品のいい男性たちが次々訪れ、
良い空気を作りだしていた。

 


それは彼女の人柄が店の雰囲気に
そして客層に現れていたのだろう。

 

 

 

 

帰り際に
私が彼女に飲み代を支払おうとすると


「お金はいらないよ。
ツケにしとくからさ。出世払いしてちょーだい。」

と笑っていた。


そして店が忙しいにもかかわらず、
外まで見送りに出て来てくれたのだ。

 


更にお土産には
赤いリボンのついたマスクメロンを持たせてくれた。

 

「正直に言うと、
あなたを店にスカウトしたくて名刺を渡したのだけど。
どうかしら?」

 


私はその言葉が嬉しかったのだが、

残念ながら断るしかなかったのだ。

 

 

この時、
アルバイトを複数掛け持ちしていたため、
スナックで働くなど到底無理な話だった。

 

それに私は店のカウンターの中より
外で座って酒を飲むのが好きなのだ。

 

 

彼女は残念そうだったが

 

「またいつでもおいで。ボトルキープしてるんだから」
と笑ってくれた。

 


私は彼女の言葉をありがたく受け取り、
よくスナックへ遊びにいった。

 

 

当時、ゲイバーでの乱痴気騒ぎも楽しかったのだが、
スナックのカウンターの隅に座り、 壁に体を預けて、
ブランデーを飲むしっとりした時間も好きだった。

 

 

私は彼女のことは「ママ」と呼んでいたのだが、
ママは本当にママであった。

 

ママには1人息子がいたのだ。

 

正確な年は忘れたが15〜17才のどれかだろう。

 

進学していれば高校生ぐらいの年頃であろう。

 

ママの実際の年齢も不明だ。

 

ママはよくこう言っていた。

 

「人様の年齢を安易に聞いてはダメよ。
聞いても年は忘れたらいい。
でも誕生日は一度聞いたら絶対に忘れたらいけないよ。」

 


ママは実の母親以上に沢山のことを私に教えてくれた。

 

 

 

 


ママはスナックのママになる前は
都会でキャバ嬢として働いていた経歴を持っていた。

 

ママは私に接客の心得を教えてくれた。

 

キャディーの仕事も究極の接客業だ。

 

そのためママのアドバイス
実にありがたいものだった。

 


ママのスナックに通いだして
私の仕事の出来は格段に向上したのだ。

 

 


ママ曰く、
接客で1番大切なのは「客」に
自分のファンになってもらうということだ。

 

夜の街でよく使われるテクニックは色恋営業だろうが
これは絶対にしてはいけない。

 

色恋営業は相手を傷つける行為であり、
自分の身にも危険が伴う。

 

だからこそ夜の店には強い後ろ盾がいるのだ。

 

 


愛はいつでも憎しみに変わり、
終いには人を狂わせる。

 


色恋には危険な落とし穴がつきものだ。

 

きっと、落とし穴に落ちた事にも
あなたは気づかないだろう。


気づいた時にはもう手遅れだ。

 

私は人々の欲望の渦巻く夜の街で
私は沢山の人に出会った。

 

 

色恋営業の末に客にストーカーされ引っ越した女。

 

店の女に手を出し、
取巻きの男達に拉致され暴行された挙句に
多額の金を請求された男。

 

 

出会い系サイトで若い女のフリをして
男を誘い出す男。

 

 

パパ活と称し、
男と行為に及びそれをネタに男をゆする女。

 

 

街で女をナンパし性行為に及んだあげく、
山に女を捨てる男。

 

 

街で出会った男と性行為に及び、
妊娠したと嘘をつき金をゆする女。

 

 

他の男との子供をあなたの子供だと騙して

結婚した女。

 

 

HIVに感染していながら、
出会い系サイトで知り合った男と
性行為に及ぶ男。

 

 

 

 


文体だけでみると「危ない人物像」が
思い浮かぶかも知れないが、
皆んなゲイバーやスナックで
知り合いになった私の飲み友達だ。

 

 

どの人も友人として付き合えば、
あなたの友人と対した差はないだろう。

 

 

この危うい騙しあいの世界で、
あなたは彼らの危険を察知できるだろうか。

 

 

いつミイラ取りがミイラになっても
不思議ではない世界なのだ。

 


このような危険を避けるためにも
適切な人間関係の構築が必要だ。

 

 

相手の愛のさじ加減を適切に見極めて、
真摯に接客しなければならない。

 

 

相手に金銭的な無理をさせたり、
愛の天秤のバランスが崩れた時には
2人の関係は破滅に向かうだろう。

 

 

自分のファンになってもらうためには
最初の「会話」が重要だ。

 

 

初対面でいかに相手の心掴めるかが勝負の別れ道だ。

 

 

キャディーの仕事も
初対面で相手の心を掴めなければそこで終わりだ。

 

 

そのために、
どんな小さな事も聞き逃してはいけないし、
見逃してはいけない。

 

 

相手が一度話したことを、
また質問するようなことは避けなければならない。
(相手が何度も聞いて欲しい話題は何度も繰り返しても良いが)

 


大きなことではなく、
些細なことを覚えておくということが大事なのだ。

 

 

そして相手が
どんな物を好んで身につけているのかも重要だ。

 

 

そこから共通点が見つかるし、
相手が再来すれば、
相手の好みに合わせることも可能だ。

 


そうなれば後は自然と距離が近付いていくだろう。

 

 

他の人が聞き逃したり、
見逃してしまうような些細な事を覚えておくことは、


「私はあなたと真剣に話している」


「私はあなたのことを真剣に見ている」


という誠意の現れだ。

 

 

 

 

王道のボディタッチもやはり効果的だ。

 

触り方にもテクニックがあって、
叩くときは触れるか触れないか程度の圧力で。

 

撫でるときは毎秒5㎝の速度が最適だ。

 

触る手は常に綺麗にしておく必要があるが、
派手にネイルをする必要はない。

 

 

ママ曰く、「生活感のない綺麗な手が色っぽい」そうだ。

 

神は細部に宿るのだ。

 

 

 


「客」は高いお金を払って来店し、
高いお金を払ってお酒を飲むのだから
そこにいる女は魅力的な女である必要がある。

 

男性たちは魅力的な女性と話して、
美味しいお酒を飲み、
楽しい時間を過ごしたいのだ。

 

 

自分が客なら
どんな人と楽しい時間を過ごしたいか。

 

それに近づく努力をする必要がある。

 

それがプロだ。

 

 

外見的な美しさを磨く必要は勿論あるが、
人を引き付ける内面の魅力は
簡単に醸し出すことは出来ない
とママは言っていた。

 

 

人の内面の魅力はその人の日頃の思考や
毎日の過ごし方から作られるものだ。

 

 

そして、どんな人と日々を過ごすかが大切だと教えてくれた。

 

ママは美意識が高く、
夜8時以降は一切固形物を口にしなかった。

 

そして、休みの日にはジムやヨガに通い、
スタイルの維持を心掛けていた。

 

更に、ママは外見磨きだけでなく、
毎朝、新聞を隅から隅まで読んでいた。

 

ママはどんな話にも対応できていたし、
どんな人とでも本当に会話を楽しんでいた。

 

相手に対して真摯に接していれば、相手に興味がわくし

相手に関心があれば、自然と会話は楽しいものになると

ママは教えてくれた。

 


ママは自分の仕事に高い志を持ち、
毎日努力を積んでいたのだ。

 

 

 


最近、夜の街以外でも素人による
「ママ活」や「パパ活などの行為をよく目にする。

 

私は自分の価値観を人に押し付ける気はないが、
少し心配なのだ。

 

お互いが同じ強さと同じ量の愛で、
そのような行為を行っている分には問題はないだろう。

 

ただ、相手の自分への愛を
利用するべきではないと私は思うのだ。

 

愛の罠を仕掛けて甘い言葉を囁き、
相手の愛を己の利己心や野心のために利用しているのなら、
それは詐欺行為だ。

 

 

このような行為について

 

「お金を貰って、相手を癒してあげてるからウィンウィンだ」

という意見も目にするが、本当にそうだろうか。

 

 

ママのような
高い志やプロ意識が彼らにあるのだろうか。

 

お金を払うに値するような
魅力的な人間になる努力をしているのだろうか。

 

「他人に癒しや楽しい時間を与え、その対価としてお金を貰う」

という仕事は、片手間で遊び感覚で行えるのだろうか。

 

 

「人からお金を恵んでもらおう、自分の生活の面倒をみてもらおう」

という甘い考えの人間に人を癒すほどの器があるのだろうか。

 

 

更に私の意見を言わしてもらうと


「相手を自分が癒してあげている」
などといった自分を人より上の立場において考えるのは、
相手に失礼ではないだろうか。

 

「相手は満足しているし喜んでいるからいいだろう」

 

本当にそうだろうか。

 

2人の関係は良いものだろうか。

 

それは傷の舐め合いになっていないだろうか。

 

何が良くて何が悪いのかは、
自分の答えも今だに分からない。

 

ただ、仕事が良かったのか悪かったのかは
別れの場面で答えがでるのではないだろうか。

 

その時、相手の愛が憎しみに変わったとしたら
それは、粗末な仕事の結果ではないだろうか。

 

 

2人の関係が終わりを迎えた時でも、
相手が感謝の言葉を述べたとしたら
その仕事は正解だったのだろう。

 

 

もし、そうであったなら
私はあなたの仕事をプロの仕事だと認めるし、
あなたを尊敬するだろう。

 

 

相手があなたに与える愛が、
何も見返りを求めない無償の愛であったなら、
そこからくる行動やモノは素直に受け取って良いだろう。

 

 

あなたが、同じ気持ちなら遠慮は無用だ。

 

 

私は、相手の愛からくる行為やモノを受け取った時
自然に感謝の気持ちが湧き上がってくる。

 

けれども、そのような気持ちではなく

 

「相手が自分にそれを与えて喜んでいるのだろう」

といったように、

相手の上に立った気持ちが湧き出る時、
私はそれを受け取らないことにしている。

 

 

それは、お互いのためであるし、
人々と誠実な平等な関係を
築いていくためのマナーだと思っている。

 

夜の世界では、ついている客を見れば
その人の人間性がわかると言われているそうだ。

 

 

適当な接客をする人間には適当な客がつく。

 

ママは男を見るとき、
その周りの人間も注意してみるように私に言っていた。

 

いくら外見を良く見せて着飾っても、
周りの人間まで良くみせることはできないからだ。


似ているもの同士が惹かれ合う、
引き寄せの法則なのだ。

 

 

 

 

 

 


当時の私は明け方まで飲み明かし、
公園で朝日を拝みながら始発を待つのが好きだった。

 

この日もそのつもりでスナックでブランデーを飲んでいた。

 

するとママは私にこう言ってくれた。


「公園で始発を待つなんて女の子のすることじゃないわよ。
私の家、店のすぐ近くだから泊まっていきなさいよ。」

 

 

私は遠慮がない人間なので、
お言葉に甘えてママの家に泊ることにした。


ママは店じまいがあったので、
私はママから家の鍵を受け取り先に店を出た。

 

洋風の平屋の家につくと窓から灯りが漏れていた。


私はインターフォンを鳴らした。


すると細身の背の高い男の子がドアを開けてくれた。

 

ママから聞いて年齢よりも大分私には大人びてみえた。

 

目が隠れるほどの
長い前髪を斜めに流していたせいであろうか。

 

漆黒の髪からは、現実離れした雰囲気が漂っていた。

 

男の子は、私を見た瞬間に驚いたような表情を浮かべた。

 

「母さんから聞いてるよ。どうぞ」

と男の子は私を家の中に招き入れた。

 

リビングの真ん中にあった花柄のソファに私は座った。

 

彼はママに似ていなかった。

 

色白いシミ一つない皮膚に、
目鼻立ちの整った美しいパーツは
デパートにあるマネキンを思い出させた。

 

私は、このマネキンをどこかで見た気がしたのだ。

 

そこで、私は彼に尋ねてみた。

 

「なんかT君と初めてあった気がしないんだけど。
私達、どこかで会ったことがあるかな」


それを聞いて、
彼は口元に人差し指をあてクスッと上品に笑った。

 


「お待たせしました♪
コーヒーのMサイズ、シロップ一つ入れてますね♪」

 

 

私はこのセリフを聞いて全身に震えが走った。

 

彼は私の行きつけのコンビニの店員だったのだ。

 

私はこのような偶然の一致に
何か不思議な力を感じずにはいられないのだ。

 

このミラクルは彼に対して親しみと愛を私に湧き上がらせた。

 


「俺も驚いたよ。
実はいつかのアドレス渡そうと思ってたんだ。
マジでだよ。」

 

 

そういって彼は財布から小さなメモ用紙を取り出した。

 

そのメモにはミミズがはったような字でメールアドレスが書かれていた。

 

その下には小さく
「よかったら連絡ください T」
と書かれていた。

 

私は歓喜の声をあげた。

 

丁度そのタイミングでママが帰宅した。

 

私達は興奮気味に
私達の偶然の出逢いについてママに話をした。

 

ママは
「あんた、私の店の客に手を出すんじゃないよ!」
と笑っていた。

 

 

笑い声が3つ重なり、
私たちは陽気に夜を明かしたのだ。

 


ママは私が夜遅くまで飲み歩くことを
いつも心配していた。

 

私はそんなママの心配など気にも止めず、
しばしば飲み歩き終電を逃す馬鹿な人間だった。

 

そんな私をママは何度も泊めてくれたのだ。

 

その度に私たち3人は楽しい夜を過ごした。

 

 

 

 

 


3人で過ごしている時、
Tとママの関係は良好にみえた。

 

けれども、
親子2人きりの時は喧嘩することも多々あったようだ。

 

ママは私と2人の時には、
Tについての愚痴をよくこぼしていた。

 

酔った時、ママは伏し目がちになり、
眉間に皺をよせてこう言うのだ。

 

「もちろんTは可愛いよ。

 

でも全然、私の言う事なんて聞いてくれなくてね。

 

Tが反抗してきた時とか、ダメなんだよ。

 

Tとあいつが被って見えてね。

 

本当に嫌になるときがある。

 

たまに考えるんだ。

 

もし、あの時、妊娠して無かったら
もっと違った人生があったのかなって。

 

私はダメな母親だよ。

 

そんな考えが浮かぶ時、無性に死にたくなるよ。」

 

 

 

 

 

Tはママがキャバ嬢だった時に
付き合っていたホストとの間にできた子供だ。

 

ママは当時ナンバーワンホストであったTの父親に惚れ込み、
多額の金をつぎこんだ。

 

そのホストは色恋営業を平気でする男性だと
ママは知っていたが、
自分に対する愛だけは本物だと信じていた。

 


ママはいつか来るであろう、
2人の明るい未来を期待していたのだ。

 

 

「私は本当に馬鹿な女だったよ。
冷静になってみれば、
あいつの私への優しさは
自分のためでしかなかったのにね。」

 

Tの父親はママが妊娠し、
金が稼げなくなるとあっさりママを捨てた。

 

夜の蝶として飛べなくなったママは生まれ育った故郷に戻り、
自身の母親の助けを借りながら、
Tを育ててきたのだ。

 


私はなんと答えるべきなのか分からなかった。


けれども、私はママの話をもっと聞きたくなり、
両腕をカウンターに乗せ、
体をカウンター越しにママに近づけていた。

 

 

 

 

私たちは母性の明るい面はよく知っているし、
子供にとって母親からの愛や養育は
なくてはならない物である事もよく知っている。

 


子供も母親の愛を求めているし、
当然のように自分に与えられることを望むだろう。

 


けれども、母の愛は加減が難しいものだ。

 


子供に与える愛が少なすぎたり、
適切な養育を放棄したりすれば、
それはネグレクトだ。

 

また、母が子供を抱え込み、
母から離れることを許さないような愛も問題だろう。

 


今、日本は価値観の多様化に伴い
親子関係も多く変化している。

 

私たちは母性の明るい面だけでなく、
暗い側面も意識し認識していかなければならない。

 


女性の社会進出に伴い、
結婚して母に妻になりながら社会人としての一面を持ち、
1人で何役もこなすことも少なくない。

 

 

男女問わず、
キャリアを保持しなくては
社会で生きていない面も多くなってきている。

 

 

それにも関わらず、
社会ではまだまだ男性優位の習わしも根強く残っている。

 

女性というだけで規制がかかる面も少なくないだろう。

 

それも踏まえた上で、
平成も終わりを迎えようとしている今、
私達は母と子の関係を考え直す必要があるのではないだろうか。

 


子供を産んだら女性は母親になれるわけではない。

 

 


けれども私は知っていた。

 

 

ママが何か物事を考える時、
必ず1番に息子の事を考えていたことを。

 

ママが自分の事だけを考えて行動した姿を
私は一度も見たことがないのだ。

 

親なら当たり前だと思う人もいるかもしれないが、
それは簡単にできることではないと
私は思う。

 

 


ママは私に隠すことなく母親の
「明るい面」も「暗い面」も見せてくれた。

 

 

それは私にとって本当に有難いことだった。

 

 

子供は周りの大人の背中をみて、
それを真似て成長していくものだ。

 

 

私は大人が子供に対して、
自分の正しい姿をみせるだけが
良い教育ではないと考えている。

 

なぜなら、

世間に「立派な大人」など存在しないかもしれないからだ。

 

 

社会は立派な大人のフリをした
偽りの大人だらけの世界ではないだろうか。

 

 

私は社会に出てそれを身を持って痛感している。

 

 

だからこそ、大人は子供に対して、
自分の明るい面も暗い側面も
偽りなくみせてやるべきだと私は思う。

 

 

この醜い世界で、
大人が自分や他人を偽りながら苦しみもがく姿を。

 

それでもなお自分が強く生きている姿を。

 

 

それが何よりの子供に対する教育だと私は思う。

 

 

 

 

 

 

ママはスナックのママであり、
息子のママであり、
好きな人がいる女だった。

 


ママの好きな人は月に一度、
遠方からママの店を訪ねて来ていた。

 

 

2人は高校の同級生で、
その男性はママの初恋の人だ。

 

 

 

 

 

 

あれは、肌寒い雨の日だった。

 

時刻は夜の11時を回っていた。

 

この日も私はゲイバーで飲みすぎていた。

 

 

電車に乗って家まで帰るのが億劫だったので、
私はママに泊めてもらうために店を訪ねた。

 

 

店にはcloseの札が掛かっていたのだが、
灯りが洩れていたのでドアを開けた。

 

 

すると、
いつも私が座るカウンターの1番奥の席に
見知らぬ男性が座っていた。

 


私はママの顔を見て、
その男性がママの好きな人だと直ぐに気がついた。

 

 

 

2人きりのカウンターには、
黄金色のブランデーが入ったグラスが2つ並んでいた。

 

私は2人の時間を邪魔してはいけないと瞬時に思った。

 

そこで私はママに軽く頭を下げて
「また日を改める」いう意味をこめて右手をあげた。

 

そして体の向きをドアに向け、店の扉に左手をかけた。

 


するとママは

 

「こっちへおいで。一緒に飲もう。いいでいしょ?」
と男性に視線を向けた。

 

男性は低い落ち着いた声で

 

「もちろん。ここに座りな」


と自分の隣席の回転椅子を回して私の方へ向けてくれた。

 


私はいつのまにか酔いが冷めていた。

 

そのため、
少し緊張しながら男性の隣の席に座ったのだ。

 


けれども、
ママの作ってくれたブランデーと
2人の間に漂う甘い空気に
私はすぐにまた酔い始めた。

 


男性は優しい目をしていた。

 

笑った時の目尻の皺が魅力的で私は心地良く酔っていた。

 

そして男性の大人の香りは更に私を高揚させた。

 

その男性はタバコと香水の入り混じった
何とも言えない大人の深い香りがしたのだ。

 

私はその男性をテレビの中で見たことがあった。

 

ママの好きな人は俳優だったのだ。

 

 

 

この夜、ママは「氷雨/佳山明生」をカラオケで歌っていた。

 

雨の音とママのハスキーな色っぽい声に私はさらに酔わされた。

 

 

 


飲ませてください もう少し
今夜は帰らない 帰りたくない
誰が待つと言うの あの部屋で
そうよ 誰もいないわ 今では
歌わないでください その歌は
別れたあの人を思い出すから
飲めばやけに 涙もろくなる
こんなあたし許して下さい

 

外は冬の雨まだやまぬ
この胸を濡らすように
傘がないわけじゃないけれど
帰りたくない
もっと酔う程に飲んで
あの人を忘れたいから

 

私を捨てた あの人を
今更悔やんでも仕方ないけど
未練ごころ消せぬ こんな夜
女ひとり飲む酒 侘しい

 

酔ってなんかいないわ 泣いていない
タバコの煙り 目にしみただけなの
私酔えば 家に帰ります
あなたそんな心配しないで

 

 

 

 

 

 

私は自分のグラスについた水滴を
指で拭いながらママの歌声を聴いていた。

 

そのグラスの水滴が私には、
ママの涙に見えたのだ。

 


接客の際、ママはグラスについた水滴を

拭き取る時にはハンカチを使っていた。

 


それは誰かの涙をハンカチで拭き取るような
絶妙のタイミングで。

 

ママのその手つきは
優しく嫌味のないものだった。

 


私は未だにハンカチを使う自信がないし、
死ぬまで使える自信がないのだ。

 

 

 

 


空のグラスが2つ並んだ時、
男性は電話でタクシーを呼び店の外に出た。

 


今朝から降り続いていた雨はすっかり止んでいた。

 


私は2人から少し距離をとり2人を見ていた。

 


タクシーに乗る男性と見送るママを見てると
映画のラストシーンを観ている気分になった。

 


タクシーに乗り込んだ男性は扉を閉め、窓を開けた。

 

 

「また来るよ。

困ったことがあったらすぐに連絡しろよ。」

 

 

男性は雨上がりの湿った闇夜に響く優しい声で言った。

 

 

 

その言葉はママがゴルフ場で
別れ際に私にかけてくれた言葉と同じだ。

 

 


ママの中に密かにこの男性がいるのだ。

 

 


ママはこの男性で、この男性はママなのだ。

 

 


なんと素敵な2人なのだろうか。

 

 

 

 

 

これは深い愛だ。

 


この2人のような人間に私はなりたいと強く思った。

 

雨の日に傘を差し出せるような人間にだ。

 


男女の仲に限らず、
人は晴れの日に傘を貸し、
雨の日に傘を取り上げてしまう。

 


本当は雨の日にこそ傘を貸すべきなのだ。

 


それが出来るようになるために
私は大きな傘をもたなければならない。

 


つまり寛大な広い心を持つのだ。

 

もしくはもう一本傘を持つかだ。

 

自分の傘を人に与えてしまっては自分が濡れてしまう。

 

 

それは相手に無用な気使いを生み出してしまうし、
自分が風邪をひいてしまっては本末転倒だ。

 

 

私は今でもテレビでこの男性をみると
この夜のことを鮮明に思い出す。

 


目を閉じれば、瞼にあの夜の光景が、
耳には2人の話し声が、
鼻には男性の大人の香りが、
口にはブランデーの味が、
そして全身の肌で2人の間に漂っていた甘い空気を感じるのだ。

 

 

 

今でもママは店でこの男性を待っているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 


世間では毎日のように
誰かの不倫や浮気が騒がれている。

 

私はそのような事を
大袈裟に取り上げるメディアをみると
嫌な気持ちになるし、
人の恋路について、とやかく言う人たちも嫌だ。

 


私達は完全なる外野だ。

 


人の恋路を「不倫」や「浮気」という言葉で
簡単に批評する権利はないし、
外野に当事者たちの何が分かるというのだろうか。

 

不貞行為は法律でも罰せられるが、
私は「浮気」や「不倫」という概念自体を
持ち合わせていない。

 

他人の気持ちや行動を、
他人である私が縛るのは違う気がするのだ。

 


私は私、あたなはあなただ。

 

 

 


私はあなたが何処で
誰と何をしようが一向に構いはしない。

 

私とあなたが二人でいる時、
私を見てくれればそれでいいのだ。

 

その結果、
あなたが他の誰かを選び、
結ばれたとしたらそれまでだ。

 

その後も茶飲み友達にでもなれたら
嬉しいことではあるのだが。

 

 

 


ただ一つ、
私の願いを言わせてもらえるのなら、
あなたが誰かに与える愛が
利己的な愛や嘘の愛でないことを願う。

 

もし、あなたが誰かの好意を利用して
私利私欲を満たしているとしたら
私の心には、それが少しこたえるのだ。

 

 

もしそうであっても、
あなたに対する愛が変わることは無いが、
その行為自体を好きになることは
私にはできないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 


男性を見送り、
私たちはママの家に向かって歩き出した。

 

 

夜の街は、
店の看板の灯りに照らされ
深い水色や妖しげなピンクで彩られていた。

 


冬の夜は長い。

 


私とママは肩が引っ付くほどの距離で
ポケットに手を入れて並んで歩いていた。

 


私の頬を撫でる冷たい風と
ママの肩から伝わる体温がくすぐったかった。

 

 

 

私「あー!!2人を見てたら、恋したくなってきたな。

どうやったら、いい感じの関係を続けれるかな?

男と女でいい関係続けるのって難しくない?」

 

 

「そうだね。男と女は本当に難しいよ。

私達も今は落ちついてるけど、
昔は喧嘩が絶えなかったね。

私があの人の奥さんに
嫉妬狂いになった時期もあったしさ。

家の前まで押しかけたこともあるんだよ。笑」

 

 

私「えーーーー!!ママが!?全然、想像がつかない。」

 

 


「私も若かったしね。

でも、ある日吹っ切れた時があってさ。

色んなことに疲れたんだろうね。

飲み友達の今の方が楽だし楽しいよ。」

 

 


私「そっか。飲み友達か。なんかいいね。」

 

 


「あんたは早く男を作りな。

その年でゲイバーで遊んでるあんたの将来が心配だよ。」

 

 

 

私「たしかにー!私も自分が心配だな♡」

 

 

 

「うちの息子なんてどう?

背も高いし、顔も悪くないだろ?

まぁ、幸せにしてくれる確率はかなり低いと思うけどね。笑」

 

 

 

私「あーT君か。

悪くないけど、未成年に手出したら捕まっちゃうな♡

でも、もし結婚したら、ママは本当に私のママになるね!!」

 

 

 

 

 

 

ママは私の肩を
触れるか触れないかの強さで優しく叩いた。

 

 

冬の冷たい夜に2人の笑い声が重なり響き渡っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

私はママのような人間をと呼び、
ママが私に与えてくれた愛を
母性愛と呼ぶことにする。

 


ママは私に何一つ惜しむことなく、
沢山のモノを与えてくれた。

 

 

そして私の全てを受け入れ、
どんな私でも愛してくれたのだ。

 

 

照れ臭くてママには
伝えることができなかったけれど、
私はママのことを
本当に本当に母親のように思っていたのだ。

 

 

私はママのような
暖かく深い愛を持ったママに
なりたいと今でも本気で思っている。

 


いや、ならなければいけないのだ。

 

 

 


それが私から飲み代を
1円たりとも受け取らなかった
ママへの借金返済なのだ。

 

 

 

 


私の若い頃のママ活
人生の肥やしになったことは言うまでもないだろう。

 

 

 


これが私のママ活だな丸

 


つづく

青年期を生きる若者たち

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ティンカーベル/YUKI


ティンカーベル手をとって虹の向こうまで連れてって
暗い闇につかまれる前に
ティンカーベル 小さな夢 大人になれないまま
ティンカーベル 傍にいる ディスティニー
パパのガレージに 隠れて 話そう
週末の彼とのデート 力を貸してね
いつまでも変わらないことなんてないのに
彼女の長い髪は 永遠に輝く ネイビーブルー
瞳はアーモンド 私を見る
ティンカーベル 追い越した 景色だけ 変わってゆく
広い海に飲み込まれる様に
ティンカーベル 言わないで 終わりはあるってことを
ティンカーベル 踊っていたいのに
ティンカーベル 楽しかった 思い出を なぐさめれば
もう一度 会えるような 気がする こころに咲く
黄色い花 枯れてゴミに まみれていても
何度でも 水を そそいで

 

 

 

 

 

私はこの曲を聞くと青春時代を思い浮かべる。

 

 

ティンカーベル 小さな夢 大人になれないまま」

 

「ディンカーベル 言わないで 終わりはあるってこと」

 

 

 


まさに子供から大人へなりきれない心の葛藤を上手く表している。

 

 

 

 

子供から大人へ移行期、それが思春期・青年期と言われる時代である。

大人への移行期・過渡期であるゆえに、部分的には大人になりながらも、部分的には子供であり、また、子供でも大人でもない時期といえる。

 


エリクソンは、青年が、大人になるまでに社会的役割実験を重ねる準備期間を
「モラトリアム(心理社会的猶予期間)」とよんでいる。

 


下山晴彦は、自我の再構成の途上の青年期においては、自我境界が曖昧となり、他者との適切な心理的距離がとりにくくなる青年期の特徴をあげている。

 

 

 


ここでは、青年期後期(18〜22歳)に焦点をあて、みずからの青年期後期の体験を踏まえながら青年期の若者たちについて考えていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

18歳春。セーラー服を脱ぎ捨て、新しい土地で新生活が始まった。

 

 

 

 

入学式を終え、1ヶ月ほど経った頃だった。

 

 

 

教室では大勢が所々に輪を作り、ドラマの話やサークルの話に花を咲かせていた。

 

 

 


私は大勢で話をするのが苦手だった。

 

 


誰と話をしているのか、なんの話をしているのか分からなくなるのである。

 

 

自分だけが空中浮遊し、高所から皆を見下ろしているような奇妙な感覚に陥るのだ。

 

 

そして学生時代の私は周囲に合わせるということが苦手であった。

 


大勢で話をしている場面で、しばしば空想を始めてしまうのだ。
その姿はクラスメイトたちから人に関心がないように映っていたようである。

 


「話聞いてる?」「疲れた?」「人に興味なさそう・・・」
などとしばしば言われたものだ。

 

 


クラスメイトたちに興味がないこともないのだが、どうしても耐えられなくなり
みんなの輪の中からエスケープしてしまうのだ。

 

 

エスケープして教室の後ろへいくとそこに彼女(M)はいた。

 

 

Mは教室の隅で背中を丸めて1人で席についていた。

 

 

Mは瓶底眼鏡を着用し、乱れたログヘアーを後ろで一つに束ね、いつもジャージを着ていた。

 


そして、教科書を広げてブツブツブツブツ呟いていたのである。

 


私はMに興味が湧いたのだ。

 


Mの隣の席に座り、ブツブツ唱えている呪文に耳を傾けてみたが、聞き取れない。

 

 


声をかけてみるがこちらを見ようともしないのだ。

肩を叩いてみるとこちらに顔を向けるが、視線が合わない。

キョロキョロと挙動不審なのだ。

 

 

 


Mはいつも勉強をしているのだ。
休み時間は勿論だが寮にかえっても寝るまで勉強していた。

 

 


しかし、その勉強の成果は出ていないようでテストではしばしば追試を受けていた。

 

 

 

 

Mとは対照的に私はこの頃、勉強に対する意欲が全く湧いてこなかった。

 

 

 

 

 

授業にはサボることなく出席していたが、授業内容など耳に入っていないのである。

 

 

 

授業中、何をしていたかを言えば、友達が意気揚々と話す恋話やネタ話を空想しながら漫画を書いていたのだ。ほとんど変人である。

 

 

 

しかし、その漫画はとても好評で、クラスメイトからのリクエストが後をたたなかったため、とても忙しかった。

 

 

ある日、授業中に隣の席の男子が先生の似顔絵を書いてくれと頼んできたのだ。

 

 

私は彼のご要望通りに絵を書いた。少しユーモアを加えて。

 

 

出来上がった作品を先生の目を盗み、彼に渡した。

 

 

あろうことか、彼は大きな声で笑ってしまったのだ。

 

 

もちろん私たちは先生に怒られた。

 

 


そして、人生で初めて反省文を書かされる羽目になったのだ。

 

 

 


このようにして、私の漫画家生活は呆気なく終わりを迎えてしまったが、

授業中に空想の世界へ浸る日常は4年生になるまで続いたのであった。

 

 

 

 

 


エリクソンは標準的な青年期の危機として自我同一性拡散を挙げている。

 

 

その心理的特徴として

 


①将来の見通しが喪失し、自分が幼くなった感じや老いた感じをもつ時間的展望の拡 散

 

②一般社会に相反するものを過大評価し、それを自分の拠り所として、そのメンバーに加入する否定的同一性の選択

 

③優柔不断になり自意識過剰になったりと他者の目に気を配る自意識過剰

 

④進路や職業選択などの決断力が欠如し、勉強や仕事の集中力も欠如する選択の回避と麻痺

 

⑤親密になったり離れたり、孤独になったりという対人関係上の距離が一定に保てなくなる対人距離の欠如

 

⑥将来の目標と繋がる勉学や仕事に集中できず、幼稚な遊びや読書にふける勤勉さの欠如

 

 


エリクソンは青年期の特徴とその発達課題をアイデンティティの確立とした。

 

 

アイデンティティとは

 

「過去から未来につながる自己の連続性の感覚であり、そのなかでさまざまな役割を果たしながら、自分は一貫した自分であり、社会の中で確固たる承認を得ている」

 

という感覚である。

 

 


青年期は「自分とは何者であるか」という模索と葛藤を繰り返す時期なのだ。

 

 

 

 

 

私達は寮で生活を共にしていた。

 

 

毎朝、8時前になると、寮の廊下にガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャと大きな音が鳴り響く。

 

 

ドアノブを動かす音だ。

 

鍵が閉まっているかどうかの確認なのであろうがあまりにも長い。

 

 

私は、部屋から出てその音の犯人を突き止めようとした。

 

 

犯人はMだった。

 

 

なぜ何回もドアノブをガチャガチャするのかと私はMに尋ねた。

 

 

Mはなにも答えないのである。

 

 

 

そのまま、学校へ向かって歩き出したので、私も一緒に登校することにした。

物凄い早歩きでMは歩く。

話しかけても私のことを無視してひたすら歩くのだ。

 

 

学校まであと数メートルになった時、Mはクルリと向きを変え、寮に向かって走り出したのだ。

 

 

私はMの後を走って追いかけた。


Mは寮に戻り、部屋の鍵を開け中に入った。

私もその後について部屋に侵入したのだ。

 

 

Mはブツブツ呪文を唱えながら、電気、ガス、水道の指差し確認を行った。

その後、部屋を出て外から部屋の鍵を閉めた。

 

 

ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャとドアノブを何度も動かし、施錠の確認を行うのだ。

 

 

そして、また学校に向かって早歩きを始める。

 


学校まであと数メートル。Mはまた立ち止まった。

 

全部閉めてたよ。と私が言ってもMはブツブツと呪文を唱えていた。

 

私はこのままでは埒があかないと思い、Mを引っ張って学校へ連れていったのだ。

 

 

 

 

 

この日から私達は一緒に登校するようになった。

 

毎朝、私はMの部屋へ行き、水道が出ていないか、ガスの元栓は閉まっているか、電気は消しているか、鍵を閉めたかを携帯電話の動画で撮影するのだ。

 

 

Mが不安になった時にこの動画をみせるためだ。

 

 

 

毎日、共に過ごしていくうちにMは目線が合うようになり会話できるようになった。

 

 


Mは私を「生まれて初めてできた友達」と言った。

 

 

 

Mは赤ん坊の頃、小さな物音で泣き出したり、知らない場所に行くと癇癪を起こしたりと神経質な気質があった。そのため、母親は育てにくさを感じていたそうだ。

 

 

成長しても、物がきちんと並べられていないと落ち着かなかったり、家の鍵が閉まっているのかを気にしてチェックを繰り返したり、家の中の汚れを気にするような子供であった。

 

 


小学生になり、イジメが始まった。

中学、高校とどこへいってもMはイジメを受けたのだ。

 

 

特に高校生の頃のイジメは酷かったようで、彼女につけられたあだ名は汚物だ。

 

陰険なイジメ行為は生徒のみではなく担任からも行われた。

 

 

教室でいつも下を向いて過ごしていたMの背中は曲がり、老婆のように曲がった脊柱はもう真っ直ぐ伸ばすことができないのだ。

 


高校二年生の頃、クラスで盗難事件があり盗難された物がMの机の中で見つかるという事件があった。

 

この頃からMは、帰宅後、何度も手洗いをすることが始まり幻聴に苦しめられるようになった。

 

「お前はみんなに嫌われている」「汚い」「死んでしまえ」と耳元で囁く声が聞こえたのだ。

 

学校から帰ると繰り替えされた手洗いは脅迫観念といわれるものだ。

 

学校から家に帰るという場面が刺激状況となり、自分は汚染されているという脅迫観念が頭に浮かぶのだ。

 

 

そしてMは手洗いをせずにはいられないのである。

 

自分は汚いのだという認知は、生理的な強い不快感を引き起こした。

 

手洗いを行えば、一時的には不快感や不安感は減少する。

 

しかし、それは一時的な回避にすぎないのだ。

 

 

 

 

 


夏休み、Mの母親の強い要望を受け、私はMの実家へと泊まりに出かけた。


高速バスを降り、待ち合わせ場所に行くと、真っ黒に輝くベンツが止まっていた。

 

その車から色付き眼鏡をかけ、首に金のネックレスをつけた強面の男性が降りてきた。


私は危険を察知し、視線をそらした。

 

するとベンツの後部座席からMが降りてきたのだ。

 

私はすぐに笑顔を作り、Mの父親へ挨拶をし、手土産を渡した。

 

車中はなんとも重苦しい空気だった。

後部座席の私の隣に座ったMは緊張した面持ちでお行儀良く座っているのだ。

 

そして父親の問いかけに対して、Mは全て敬語で答えるのだ。


Mの父親は、私達をさまざまな観光名所へと連れて行ってくれた。

 

私は、ベンツの後ろにピタリとついてくる二台の車が気にはなったのだが、それを聞く勇気は持ち合わせていなかった。

 

 

 

観光を終え、Mの家についた。私達を送り届けるとMの父親は姿を消した。

Mの家は古風な大きな家だった。

 

 

庭にあった池には色とりどりの鯉が泳いでおり、小さな滝まであった。

 

手入れの行き届いた美しい庭園に私は心を奪われたのだ。

 


家の中に入るとMの母親が出迎えてくれた。

なんとも儚げな美しい女性で、私を心から歓迎してくれた。

夕食にはフランス料理のフルコースのような手料理を振舞ってくれた。

 

 

 


私が滞在している間、Mの母親は一度も私の前で座ることがなかった。

私に料理を出した後はリビングやキッチンをピカピカに磨き上げていた。

屋内を常にせわしなく動き回っていたのだ。

 


Mの母親は何度も何度も私にお礼を言った。
「Mちゃんと友達になってくれて本当にありがとう。」

 

 

 

 

 


Mは寮にいるときでも、毎日、母親と電話をしていた。

 

 

Mは何をするときでも母親に確認を取らなければ、なにも出来ないのだ。

 

 

 

本来、この時期は、思春期以上に親との心理的距離は遠のき、親との別の世界を作りげていく。


また、親には言えない秘密を持ち、それを保持しながら心理的距離をもつようになる。

 

 


小木啓吾は、「秘密を自分の中に保つということは、親からの分離と自立の過程のなかで非常に重要な問題」と述べている。

 

 

 

母子密着が強い場合には、親からの分離過程が進みにくいのだ。

 

 

もちろん、子供たちの衣食住の基本は家庭にあり、様々なチャンスを子供に与えることは当然だ。しかし、親は親であり、子供は子供なのだ。

 

 

子供は決して母親の分身ではない。

 

 

親も子供も協力して成長していく姿勢が大切であり、子供の自主性を尊重し、相手を見守る姿勢が大切なのだ。

 

 

 

そして、子供はよく親を見ている。

親の背中をみて、それを真似することから子供は成長しはじめていることを覚えておかなければならない。

 

しかし、必ずしも親が規則正しく社会の模範である必要はない。

 


親は子供に嘘偽りなく正直に話をして、自分が人生を楽しく生きている姿を見せることが大切ではないだろうか。


そして、子供が巣立ちを迎える時には、親はタイミングよく子供の背中を押してやるべきだ。

 

 

 

子供もいつまでも親にとらわれてはいけない。

親も1人の人間として精一杯生きているのだから。

 

 

 

 

 


Mは私達と過ごしていくうちに、母親に相談することが少なくなり、母親に秘密を持つようになった。

 

Mは友達と遊ぶという経験が無かっただけでなく、マンガやドラマ、インスタント食品なども口にしたことがなかったのだ。

 

Mの母親がMのためを思って禁止していたのであろうが、私はMを誘惑した。


カップラーメンを始めて食べた時のMの感動した顔をいまでも覚えている。

 

私は彼女が見せる新鮮な反応がとても好きだった。

 

 


そして、カラオケ、映画、居酒屋、ショッピングモールなどさまざま所へ一緒に出かけた。


Mにとってはすべて初めての体験だ。


新しい場所へ出かけるたびに想像のはるか上をいく行動をMはみせる。

 

 

 

 

 

夏休み、女友達数人で海へ出かけた。

 


20才の女性といえば、子供の可愛らしさも残しつつ、大人の色気も増してくる時期だ。

 


皆、この日のためにダイエットを行い、我こそはナンバーワンだと自分に似合うビキニ姿で現れるのだ。

 

 

このように他人の目を意識し自意識過剰になるのもこの時期の女性に特有のものであろう。

 


そこへ名前の入ったスクール水着で水泳キャップを被ってMは現れたのだ。

 


他人の振りをしたくなるようなレベルであったが、幸い、私は二着水着を持ってきていた。

 


可愛い系のビキニかセクシー系のビキニかどちらを着るべきか海に着くまで迷っていたからだ。

 


Mはセクシーな黒レースのビキニを着用する事になったが、瓶底眼鏡にはなんともミスマッチであった。

 

 

 


遊びにはコミュニケーションや自分への気づきに繋がるような、人の成長に不可欠な要素が秘められている。

 

 

 

D.W.ウィニコットは「遊ぶことと現実」で「遊び」および遊戯療法について述べている。

「遊びこそが普遍的であり、健康に属するのである。すなわち遊ぶことは成長を促進し、健康を増進する。また、遊ぶことは集団関係を導く。また、遊ぶことは精神療法のコミュニケーションの一形態になりうる。」

 

 

 

 

 

 

実際、Mは「遊ぶ」ことによって性格も明るくなりクラスとも馴染んでいった。

 

そして2年生になるころには幻聴や脅迫観念はほとんど無くなっていた。

 

そして、以前より勉強に費やす時間が減ったにも関わらず、Mの学業成績は向上したのだ。

 

 

 

 

 

私達は寮で生活を共にしていたが、部屋は鍵付きの1DKであったためプライベートな空間は確保されていた。

 

 

当時、私は自分から誰かの部屋に遊びに行くことはほとんど無かった。

 

 

人の部屋や家に行くことは、その人の世界に入っていく気がしてなんとなく落ち着かなかったのだ。

 

 

これも私が自分の世界に生きていた証拠かもしれない。


しかし、自分の部屋に誰かが入ってくることには不思議と抵抗はなかった。

 

 

私は自分が部屋の中に居ても居なくても部屋に鍵をかけることは一切しなかった。

そのため、友人たちはいつでも私の部屋を尋ねてきた。

それが、深夜でも早朝でもいつでもだ。

 

 


私は当時、バイトを3つ掛け持ちしていたため、部屋にいることは少なかった。

 

 

なぜ、そんなにバイトをしていたかと言えば単にお金が無かったからだ。

 

 

学費は奨学金で支払っていたが、生活費はアルバイトで捻出する必要があった。

 

 

私の父は「女に学問など必要ない。どうせ結婚したら仕事も辞めるのだから」

と私の進学には反対していた。

 

 

母は私の進学を望んではいたが「自分のお金で勉強しないと遊んでしまうでしょ?」と私に言った。

 

 

 

私は高校進学の際、第一志望の学校の推薦入試が決まっていたにも関わらず両親の反対で諦めていた。

 

第一志望の学校は学費が高いうえに全寮制であった。

 

その時、両親は女の子が高校から家を出るのは心配だと私に言ったのだ。

 

 

 

けれども私は知っていた。

 

 

 

高校進学の際も、この時も、両親が自己愛が強い兄のためにお金を費やしていたことを。

 

 

親はしばしば正当な理由を並べて子供に嘘をつく。

 

 

 

けれども、子供はその嘘を案外見抜いていることを知っておかなければならない。

 

 

 

 

 

話を元に戻そう。

 

 

 

バイトから部屋に帰ると誰かが部屋にいることが多かった。

 

 

 

彼女たちは私の部屋でテレビを観ていたり、寝ていたりと自由に過ごしていた。

 

 

料理や洗濯をしてくれていることもあった。

 

 

Mはしばしばゴム手袋をつけて、私の部屋の水周り(トイレ、お風呂、洗面所)をブツブツ呪文を唱えながら掃除していた。

 

 

しかし金曜日はバイトから帰っても誰もいないことが多かった。

 

 

何故なら、金曜日は華の金曜日だからだ。

 

 

青年期の男女は金曜日を大切な誰かと過ごすことが多いのだ。

 

 

 

その反面、土曜日は訪問者が多かった。
彼女たちが私の部屋に尋ねて来るときは何か理由があった。

 

 

拒食と過食に苦しんでいたある友人は過食衝動が起きると私の部屋に訪れた。

 

この時期は、精神的にも身体的にも発達加速状態であり、拒食症・過食症に苦しむ女性は意外と多いのだ。

 

 

彼女たちの過食や嘔吐の背後には何かがあるのだ。

 

 

彼女たちに、食べることを強制したり、食べることを制止したりすることは逆効果だ。


それよりも、拒食傾向が強い時には一緒にカロリーの低い食事をしたり、過食傾向の強い時には、一緒に時間を過ごし衝動を和らげることが効果的だった。



 

 

 

 


上記はイレギュラーだが、一番多いのが恋愛話だ。

 

 


彼女たちは恋人とのロマンチックなストーリーを饒舌に語ったり、恋人への不満や不安を私に語るのだ。

 

 

私は彼女たちの話に共感したり反論したりといったことはしないようにしていた。
向こうから意見を求められた時のみ、私は意見を述べるのだ。

 

 

意見を述べると言っても、それは私の考えではない。
彼女たちが私に言って欲しいと心の中で思っている意見だ。

 


私の悪い癖は彼女達の話を聞きながらついついイメージしてしまうことだ。

 

 

彼女たちの恋人が私の見知らぬ誰かの場合は問題ない。
友人の恋人役として、私の理想的な男性像を脳内に映し出すからだ。

 

 

それはなんともロマンチックで、恋愛モードの彼女たちが羨ましく思えたりするのだ。

 

 

しかし、友人の恋人が知人となると私は困るのだ。
彼女たちは、自分の恋人を私へ紹介したがる傾向がある。

 

 


その様子は自分の宝物を大人に見せたがる子供によく似ている。

 

 


私としては、彼らには興味が湧かない上に、彼女たちの恋人はリアリティが強すぎてイメージの邪魔になるのだ。

 


ロマンチックなラブストーリーがコメディに変わり、彼女たちの真剣なラブロマンスを笑いに堪えながら聞くことになるのだ。

 


決して笑ってはいけないと思うほど面白くなってくるのは人間の悲しい傾向である。

 

 

 

 

 

 

Mは私とは対照的に部屋に誰かを入れることを強く拒んだ。

 

四年間の寮生活の中でMの部屋に入れるのは、朝の点検作業のときのみだ。

 

 

 


自分の部屋は安心して1人になれる時と場として大切な空間であるかもしれない。

 

 


しかし、この時期の青年たちにとって仲間を感じる場もとても重要だ。

 

それは同年代の友人が集まり、互いに仲間意識をもってつながりあえる場所である。

 

時に、それは秘密の共有という形になって現れてくるだろう。

 

青年たちは秘密を共有することにより更に仲間意識を強めるのだ。

 

 

 


SNSの普及は、このつながりあえる場所をバーチャルな場へと展開させた。

 

 

いつでもどこでも誰とでも繋がれるこの時代に、表面的な友情はもはや必要ないのだ。

 

青年たちは自分の時間を大切にすることができ、本当の人間関係を大切にすることができるのだ。

 

けれども、直接会って互いの顔を合わせ、相手の雰囲気を感じ、言葉には現れていない言葉を聞くことにも大きな意味があると私は考える。

 

 

 

 

 

 


私達は365日のうち最低300日は顔を合わせた。

 

Mは私に心を開いてはいたが、ネガティブな発言が多く、時には私に敵対心を向けることもあった。

 

 

Mの合言葉は「どうせあたしなんて」「〇〇はいいね。うらやましい」「わたしにはできない」「無理」だ。

 

 

Mにはまだ自信が足りなかった。


新しい体験をして楽しむことよりも、失敗したり、嫌な思いをするくらいなら何もしないほうがマシだと思っていたのだ。


Mが長年経験したイジメというトラウマ体験はMを回避的な性格へと導いていた。

 

 

本人にとって逃げ場のない苦痛な経験をすれば無意識に人はその行動を避けるようになる。

 

 

Mは心のそこでは人との関わりを強く求めていたが、人間に対する不信感が勝ってしまっていた。

 

 

そして自分は誰にも愛してはもらえないと強く思っていたのだ。

 

 

 


そしてMはどこか影のある印象を人に与えていた。

 


見た目にも問題があったが、態度や物腰もおどおどして自信にかけるのだ。

 

 

それはMに対する回りの態度や評価が強く影響していたのであろう。

 

 

 


私はMをプロデュースした。

 

 

 

瓶底眼鏡をコンタクトレンズに変え、知り合いの美容師の所へ連れて行き、髪型・メイクをレクチャーしてもらい、服や装飾品を大人買いに出かけた。

 


私はバイトに精を出す働きマンであったうえに、しばしばチップを貰っていたのだ。

 

 

そのため、毎月かなりの収入を手にしていた。

 


良く言えば、気前がいい人間であったが、悪く言えば金遣いの荒い計画性のない人間であった。

 

 

周りの大人たちは貯金するように私に勧めていたが、私は1円も貯金はしなかったのだ。

 

 

 


少女漫画のような展開だが、Mは変身を遂げた。

 


Mはもともとの顔立ちも実は美人だったのだが、私のプロデュースにより正真正銘の美女になったのだ。

 


人間なんて皮一枚剥げば大した差はない。

 

 

年を取ればみんな似たようなものである。

 

 


しかし、人が美しさに魅力を感じるのは紛れもない事実なのだ。

 

 

 


事実、Mを取り巻く環境は大きく変わった。

 

 

 

 

 

Mは人生初めての合コンであっさりと恋人が出来たのだ。

 

 

 

変身前のMを男子たちは妖怪、火星人、異星人、不気味などと表現していたが、見た目がフルモデルチェンジしたMはモテていた。

 

 

 

男子たちはMを100年に一度の奇跡、天然、初々しい、姫などと表現したのだ。

 

 

 

見た目が変わるだけでこれだけ人の評価は変わるのだ。
そして周りの態度が変わればその人も変わる。

 

 

 

特に女性にとって異性からの承認はとても大事なことかもしれない。

 

 


恋人が出来てからのMは美しさに更に磨きがかかったのだ。

 

 

 


そしてMは笑うようになった。

 

 


Mが初めて笑った時、私は驚いた。

 

言葉では表現しにくいのだが、なんともいえない奇妙な笑い方なのだ。


街中でMが笑うと周りの人がこっちをふり向いてしまうようなレベルだ。

 


無理もないかもしれない。

 

 

Mは何年も笑っていなかったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

私達は4年間の学生生活を無事に終えた。

 

 

 

 

 

Mは無事に卒業し、恋人の住む街での就職活動も成功を納めた。
(変身前のMは何度かバイト面接にいき、すべて不採用だったが、変身後は一発採用されたのだ)

 


私は4年生の後期に勉学に目覚め、卒業式では成績最優秀賞を頂いたのだ。

 

さらに協調性も身につけ、話の途中でみんなの輪からエスケープすることも無くなった。


そして空想の世界へ行くこともほとんど無くなったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

わたしたちは大人になった。

 

 

 

 

 

わたしたちは悩み苦しみ、自分のアイデンティティの破壊と再生を繰り返し、自分の道を切り開いたのだ。

 

 

 

 

この過程を助けてくれたのは共に歩んだ友人たちであり、先を歩いていた大人たちだ。

 

 

 

特にアルバイト先で出会った大人たちは私を大きく成長させてくれた。

 

 

 

両親が何不自由なく私に与えてくれていたとしたら、私はこのような経験はきっとできていなかったであろう。

 

 

 

 


人のつながりは、鎖のように硬いものではなく、柔軟性のあるしなやかなものであると私は考える。

 

 

私は、人体の柔軟な関節構造にそのヒントをみる。

 

 

人の体は、強い衝撃を受けても簡単には怪我をしない。

 


子供が階段から落ちても無傷でケロリとしているのは関節に遊びが存在するお陰だ。

 


関節の遊びは骨運動を円滑にしたり、外力を吸収したりするために関節になくてはならない「余裕」ともいわれる動きである。

 

骨と骨が強固に連結していたのなら、衝撃を吸収し簡単に骨は折れてしまうだろう。

 

 

強い衝撃にも対応できる柔軟性をもち、個別的な存在でありながら、いざというとき支えあえるのが人とのつながりではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 


卒業して、私達は離れ離れになった。

 


滅多に会うこともなくなったが、最近では誰かの結婚式で集まる機会がたまにあるのだ。

 

 


女が集まれば、恋愛話に花が咲くのだ。
けれども、若い頃のようなロマンチックな話ではなく現実味を帯びた話だ。

 

 

 

 

 

後青年期(22〜30歳)の発達課題は、

結婚・家庭の形成 社会的役割の安定 だ。

 

 

 

 

 

 


特に女性は仕事のバランスと恋愛のバランスが狂うときかもしれない。

 


彼女たちの話には焦りと不安が見え隠れするのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

この間、幼馴染と遠出した。

 

彼女は就職した当初から寿退社する日を夢みて婚活に励んでいた。

 

その夢が叶い、遠くへ引っ越すことになったため、独身最後のドライブへ出かけたのだ。

 

 


「女子的価値の高いうちに仕事ばかりしていてどうするの!!!」
と興奮気味に彼女は私に説教を始めた。

 

 


私はこのような話題が苦手だ。

 

 

早々に切り上げたい話題であったので、
「私はそんな市場価値はないから」と笑ってスルーしようとした。

 

 

しかし、この発言は幼馴染を更にヒートアップさせてしまった。

 

 

「女の市場価値は周りが決めるものなの。自己申告制じゃない!!!
女の価値は年齢とともに下がるの!女の幸せは結婚相手で決まるの!!
今の仕事ずっとしていくつもり?」

 

 

 

私は運転席の窓を開け、気持ちのいい春の潮風を車内に入れた。


幼馴染の質問を華麗に風に流したのだ。

 

 

 

 


果たして女の価値とはなんなのだろうか

 

 

 

女の幸せは結婚相手で決まってしまうだろうか

 

 

 

 

私にはまだ分からない。

 

 

 

現実をみていないわけではない。友人の言うことも理解できないわけでもない。

 

 

 

自分の選んで行くものが将来と直結していくのは私がもう子供ではない証拠だろう。

 

 

 

 

けれども非現実的なものに惹かれ、非現実的なものに美しさを感じずにはいられないのだ。

 

 

 

 

それは、例えば大浦天主堂のステンドグラスのような儚い美しさに

中原中也の叙情的な詩の美しさに 私はついつい魅了されてしまうのだ。

 

 

 

私はまだ空想の世界から出ることができていないのかもしれない。

 

 

 

 


未来については分からない。
けれども、未来が良い方向へ進むという自信が私にはあるのだ。

 

 

 


幼馴染は何も答えない私にこう言った。
「ま、結婚してもたまには遊んであげてもいいけどね」

 

 

ツンデレでなんとも可愛い女である。

 

 


私達は結婚すれば名前すらも変わってしまうような生物だ。

 

 

 

けれども、静かに続いていく変わらない友情が私の未来に確かな自信を与えてくれるのである。

 

 

 

 

 

 

 

まとまりの悪い記事になってしまったが、
私が青春時代によく聞いていたRADの曲で今回の話を終わりにしたいと思う。

 

 

 

 

青い春/RADWINPS

 

終わりは始まりなワケであって へコむ暇などないワケであって
でもそれが人生のイイとこなんだって
誰かから聞いた気がする

いつも自分を持って生き きっとそれがカッコいい
みんなはそういう人だから 僕は好きなんだ

いつか別れがくるなんて 考えても 何も プラスに働きはしない
だから共に生きよう 今を 青き春を

この今とゆう時に この今とゆう場所で
この今とゆう素晴らしい季節に みんなと出会えた 喜びは

何にも代えられることは できないよ僕の力では
他の誰でもなく絶対に あなた達と 生きていきたい

何にも代えられることは できないよ僕の力では
他の誰でもなく絶対に あなた達と 生きていきたい

 

 

Save me, if you were there
I guess I don't have to sing this kind of song
but Save me, let's sing together
and we'll be as one for now and forever

 

 

夏の罪

 

 

 

夜が明けて 蝉が泣いている

 

 

 

それから あれは どうなっただろうか

 

 

 

美しく哀しい心の夜は明けただろうか

 

 

 

 

シャボン玉のような空想を 頭の中で描いてみるが

 

 

 

浮かんでは宙に舞い パチンと弾けてしまう

 

 

 

 

私には 人の心が 皆目見当もつかないのだ

 

 

 

 

私という人間は 人が好きで 人とわかり合いたいと 愛し合いたいと 

 

 

 

人を真似てはみるのだが 

 

 

 

人に哀しい思いをさせるだけで 

 

 

 

上手く 真似れた 試しがないのだ

 

 

 

 

そんなことを考えながら アスファルトの上を歩いている

 

 

 

 

日差しが 暑くて 身悶えするが

 

 

 

太陽に怒っても 仕方がないので私は日傘をさしている 

 

 

 

太陽は眩しく偉大で皆を照らしている 

 

 

 

それにヤキモチを焼いても仕方がないし 太陽は全人類にとって偉大なものだ

 

 

 

 

 

 

 

もし 私がその太陽を見るのなら 失明する覚悟がいるし

 

触るとしたら焼け死ぬ覚悟で触るべきであろう 

 

 

 

 

 

 

 

私の悪

 

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私とKは工場で出会った。

 

 

 


Kと工場で言葉を交わしたのはこの日が最初で最後だ。

 

 

 

その日は休憩室にいつものメンバーがいなかった。


広い休憩室には6人掛けの机が5つほどあった。

 

 


どの机もほとんど席が埋まっているにも関わらずKは大きな机に一人で座っていた。

 

Kは仕事中も休憩時間も誰とも喋ることはなかった。

 

 

そして、季節は夏にも関わらず長袖を着用し、室内でもキャップ姿だった。

 

 

 

 

私は空いていたKの机で昼食をとることにした。


Kしかいない机に座り、私はKに挨拶をした。

 

私「お疲れ様です。長袖暑くないんですか?」

 

この瞬間、騒がしかった休憩室の空気がピリッとした気がした。

 

 


「ハハッ。ちょっと訳ありでな。」Kは少し間をおいて、軽やかに笑った。

 

 

 

私はKのこの笑い方がなんとなく心地よい感じがした。

 


Kは口数が少なく、私がほとんど一人で喋っていた。

 

 

当時、私はゴルフに凝っていた。


早朝から起き出し、打ちっ放し場へ出かけて一人で練習をしていた。

 


そのことをKに話すと、Kもゴルフが好きだというのだ。
私が練習している場所を教えるとKはそこへ現れるようになった。

 

Kはとても綺麗なフォームだった。
Kの打つドライバーはブレることがなく真っ直ぐ250ヤードは軽々飛んでいた。
まさにナイスショットだった。

 


それは、もうプロ並みの腕前なのだ。

 


私は何百人ものショットを見てきたが、Kほど綺麗なフォームでいい音を出したプレーヤーはいない。

 

 

私は1日の始まりにこの音を聞くのがとても好きだ。

 


早朝に特有の澄んだ空気と甘い草の香りがする夏の風にあたりながら、Kのボールを打つ音は聴くのは本当に爽快だった。


Kは真剣に練習していたが、私はその後ろのベンチに座りKを観察していた。

 

 

ゴルフクラブを握るKの握りこぶしは骨が削れて平らだった。通常は骨が出っ張ってるのだが。

 

何をどれほど殴れば、あれほど骨が平らになるのだろうか。

 

 

 

朝6時から練習しているのは、私たちだけのことが多かった。

 


口数が少ないKだったが、少しづつ私に話をしてくれるようになった。

 

 

 

Kが不良少年だったこと、罪を犯して警察に捕まったこと、少年院を出た後、アンダーグラウンドの世界で数々の悪事を働いたことを教えてくれた。

 


詳細はふせるが、Kはその世界で成功した。

 


地位と金を手に入れ、女遊びやゴルフをして悠々自適の生活を送っていた。
けれども、Kの生活は手下の些細なミスで一瞬にして崩れ去った。

 


そのミスのせいで、Kは床一面が血の海になるほど叩きのめされた。


Kの頭部にはその時の痛々しい傷跡が残っていた。


Kは死を恐れたのだ。


警察に助けを求めたKは、もうその世界に帰ることはできない。

 

それどころか、警察に保護される身となったKは、名前を変えて、日本中を転々とし、逃亡生活を送ることになった。

 

 

 


Kはこの土地にきて1ヶ月もたっていなかったのだ。

 

 

 

 

 


この夏、私は早朝のゴルフ練習もアルバイトも休みをとり、人体解剖実習へと参加した。

 

 

実習初日。解剖実習室にはビニールに包まれた20体ほどの献体が並んでいた。

 

 


ビニールを開けた瞬間、鼻をつく鋭いホルマリンの匂いがした。

 

 


その瞬間、私の隣にいた友人は失神した。

 

 

私の友人たちはメスを入れるのを躊躇していた。

 

 


けれども、班のリーダーであった、大学院生は手際よくメスを入れて皮膚の剥離作業をはじめた。

 


私もリーダーに教えてもらいながらその作業を行った。

 

 

ホルマリンのせいか、メスを入れた皮膚は異様に硬く、私は皮膚を剥ぐのに没頭していた。

 

 

皮膚を剥いだあとは、皮下脂肪を取り除く作業にほとんどの時間を費やした。

 

 


リーダーは神経の取り出し作業の時に、私のメスさばきを褒めてくれた。

 

「本当に上手いね。こんなに綺麗に神経を取り出せないよ。人体解剖、何回かしたことあるの?」

 

 

もちろん私が人間にメスを入れたのはこの日が初めてだ。

 

 

 

 

 

実習初日の帰り道、私は友人たちとコーヒーショップへ立ち寄った。

 


暑かったせいだろうか、私は今まで頼んだことが無い「マンゴーフラペチーノ」を注文した。

 

 

私がそれを飲んでいると友人が青ざめてた顔をしていた。

 


「なに?どうしたの?」と私が尋ねると

 


「よくそんなの飲めるね。それ、今日みたやつにそっくりじゃん・・・」

 


友人の言う通りたしかにそれは、さっきまで私が皮膚から削ぎ落としていた人間の皮下脂肪にそっくりだった。

 


人間の皮下脂肪は本当に鮮やかなマンゴー色なのだ。

 

 

「〇〇には人間の心がない、、、」と私を悪者をみるような目でみていた。

 


友人たちは私がそれを飲む姿に気分を悪くし、何も喋らなくなった。

 

 

退屈した私はマンゴフラペチーノを飲みながら、自分の長い髪の毛をいじっていた。

 


すると、自分の髪の毛からいつもと違う香りがした。

 

それはいつも私が使ってるシャンプーの香りではなかった。

 

それは、ホルマリンの香りだ。

 

私の髪の毛は献体と同じ香りがしていた。

 

 

 

 

友人たちは初日はこんな様子であったが、実習が5日目を迎えたころには、何食わぬ顔をして解剖していた。

 


初日に献体を見て失神していた友人は解剖しながら「昼ご飯は何を食べようか」と話しをしていた。

 

 

人間は慣れる生き物だ。

 

 


それは人間を切り刻むという一見すると残虐な行為でも同じことだ。

 

 

 

 

実習も終盤に迎えたころ、作業は臓器の取り出し作業へと進んでいた。

 


この作業は、医学部の大学院生がその役目を担っていた。

 

 

私は人間の脳が大学院生の手によって取り出される過程をすぐ近くで見ていた。

 


彼は事細やかに私に人体の構造を説明してくれた。

 


「人間の頭蓋骨は本当に硬いからね〜。」

 

 

といいながら大学院生は頭蓋骨を工具とチェンソーのような物を使って削っていた。

 

ゴリゴリと鈍い音がして、私の目にその骨の粉末が飛んできた。

 


それを見ながら、私はKの頭部の傷跡を思い出していた。

 


頭部が変形するほど、床が血の海になるほど執拗にKを暴行した人間と、
私の目の前で頭蓋骨を削っている白衣を着た利発そうな大学院生とが重なってみえた。

 

その大学院生は私に取り出したばかりの脳を持たせてくれた。

 


彼から脳を受け取ったときの手の感触を私は今でも覚えている。

 


人間の脳は私が想像していたような柔らかい感触でも綺麗なピンク色でも重いものでもなかった。

 


それは硬く濁った灰色のあっけないほど軽いものだった。

 


人間の脳は、人間の心は意外とこんなものかもしれない。

 

 

私「意外と軽いんですね。色も感触も想像してたのと全然違います。」

 

 

 

「それは献体保存用のホルマリンのせいだよ。生きてる人間の脳は柔らかいしピンクっぽいと思うよ。生きてる人間の脳も見てみたいよね 〜。
僕は君のその頭蓋骨を開けてみてみたいよ。開けてみてもいい?笑」

 

 

 

といいながら大学院生は頭蓋骨を削っていた工具を横目でチラッとみた。

 

 

この大学院生は聡明な人物であったが、脳を取り出してから、たしかに高揚しており変な冗談を言っていた。

 

 

いや、冗談ではなかったかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 


実習が終わり、私は実家に一泊した。


私は両親に「私が死んだら体を献体に出してもいい?」と尋ねた。

 

献体になるためには家族の署名が必要なのだ。

 

父親は「頭がおかしくなったのか?」と笑っていた。


母親は発狂し、わけのわからないことを言い出した。


死体をホルマリン漬けにする作業がどんなものかを私に説明してきた。

 

そして、献体だけは絶対にダメだと承諾してくれなかった。

 

 

 

私はそれがどうしたという感じであった。


どうせ死んでいるのにホルマリンにつけられようが、解剖されようが私の意識の外だ。

 

 

 


母親はヒステリックに


献体に出すくらいなら、臓器提供の方がまだマシよ!!」と私に言った。


なので、私はドナーカードを手に入れた。


ドナーカードの裏面には署名欄とどの臓器を提供するかに丸をする欄があった。


私は躊躇することなく、すべての臓器に丸をした。

 

母親はドナーカードにも嫌な顔をしていたが、父親はめんどくさそうにサインしてくれた。


そして、骨髄バンクセンターにいきドナー登録もおこなった。

 


私は献血も積極的に行うようになった。

 

 

 

 

 

 


実習が終わり、早朝ゴルフ練習を再開した。

 

私は人体の見え方が、実習前とは確実に変わっていた。

 

ゴルフ練習しているKの体がスケルトンになっていたのだ。

 

 

Kの筋肉の収縮・弛緩する様子や関節の動き、脈打つ心臓がKの服を透けて私の目に見えるようになった。

 

キャップを被ったKの頭を見ると、キャップも頭皮も透けて、変形した頭蓋骨、その中の脳まで私には見えた。

 

 

これは、実習中に皮膚から臓器にいたるまで丁寧に解剖の仕方を私に指導し、豊富な知識で親切に解説してくれた大学院生のおかげだ。

 

 

そして何より人生をおえ、医学の発展のために献体になられたご遺体、またその家族のおかげである。

 

 

 

この場を借りて感謝を述べたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


私はゴルフの休憩中に自販機へジュースを買いに行った。

 

 

その時、壁に貼ってあったゴルフスクールのインストラクター募集のポスターが目についた。

 


私はKに軽い気持ちで勧めてみた。

 

 

私「Kさん、こんなのありますよ。Kさんなら受かりそうですよね。」

 

 

「俺、それ受けるわ」とKは即答した。

 

 

Kは本気だった。この日からKは本当にインストラクターを目指しはじめた。

 


Kは工場でのアルバイト以外の時間はすべてゴルフの練習に注いでいた。

 

 

私はゴルフ場でアルバイトをしていたので、格安でコースをまわることができた。

 


Kの練習のために、私はキャディーとして客とコースをまわった後に、Kと一緒にプレーしてまわっていた。

 


ゴルフ場の従業員や常連客たちは、私のその姿をみて
「あの子は女子プロでも目指してるのか?」と噂していた。

 


中には、色紙をもって私にサインまでもらいにくる強者まで現れた。

 


適当にサインをして握手をしたが、あのサイン色紙はいまごろどうなっているのであろうか。

 

 

Kはみるみる腕を上げた。

 


そして夏が終わりに近づいた頃、Kはテストの日を迎えた。

 


私はアルバイトがあったのでKの応援には行けなかった。

 


けれども、Kは素晴らしいスコアを出していた。

 

 

この頃には、Kの鋭い人を威嚇するような目つきは、夢を追う少年のようなキラキラした目に変わっていた。

 

 

 


ロジャースは以下のように述べている。

 

「全部とはいわなくても、ほとんどの個人に成長への力、自己実現に向かう傾向が存在し、それが治療への唯一の動機となって働くということをこれまで知らなかったし、認めていなかかったのである。」

 

人間は本来、自己実現に向かう傾向を持っているのだ。そしてロジャースはこの自己実現傾向は対人関係の中で解放されると仮定している。

 

治療的人格変化の必要にして十分な条件(Rogers,1957)で、セラピーの中でパーソナリティの変化が生じるためには、以下の諸条件が備わっていることが必要であると書かれている。

 

1. 2人の人が心理的な接触をもっていること


パーソナリティの変化は対人関係のなかで生じるという仮説に立ち、たとえ潜在知覚であっても、二人の人間が互いに相手の経験の場のなかに知覚されていることが必要。

 

2. 第1の人(クライエント)は、不一致の状態にあり、傷つきやすく、不安な状態に あること

 

不安とは、自己構造と個人の全体的経験との間の不一致が意識に象徴化されかかっている状態である

 

3. 第2の人(セラピスト)は、その関係の中で一致しており、統合していること。

 

 

4. セラピストは、クライエントに対して無条件の肯定的配慮を経験していること。

 

 

5. セラピストは、クライエントの内的照合枠を共感的に理解しており、この経験をクライエントに伝えるよう努めていること。

 

6. セラピストの共感的理解と無条件の肯定的配慮が、最低限クライエントに伝わっていること

 

 

そして、これらのうち条件3.~5.の、「自己一致」「無条件の肯定的配慮」「共感的理解」がセラピスト側の3条件として重視されている。

 

 

 

当時の私はこのような説明書は持ち合わせてはいなかった。

 

もし、私がこのような知識があれば、何か違っていただろうか。

 

しかし、私たちの間には言葉も説明書も要らなかったような気もする。

 

私達はたしかにゴルフで繋がっていたのだから。

 

 

 

 

 


Kのテストが終わった次の日、私達は早朝いつものゴルフ練習場に集合した。

 

 

その日は本当に蒸し暑い日で、蝉は最後の力を振り絞り鳴いていた。

 


一時間ほど練習した後にKは上着を脱いだ。

 


いつもはTシャツの下にもアンダーシャツをKは着ていたが、この日はTシャツだけだった。Tシャツから少し刺青が見えていた。

 


おそらく、私の視線がそこへ向いていたのであろう。

 


Hは「みたいか?」と私に尋ねてきた。

 

 

私「みたい!!!」

 


私は遠慮することもなく即答してしまった。

 

私は自分の好奇心を抑えることがどうしてもできないのだ。

 

 

KはTシャツを豪快に脱いでくるりと向きをかえ、大きな広い背中を私に向けた。

 


Kの背中には一面の刺青があった。

 

 


その叙情的な光景は、私の心臓を強く圧縮し、私の全身の血液を一瞬にして沸騰させた。

 


それは、もう美しいのただ一言だった。

 


私は鮮やかな色彩の中に小さく描かれた花に目がとまった。

 

 

その花に見惚れていると、Kは豪快にTシャツを着てしまった。

 

 

私「すっごく綺麗ですね。特にバラが・・・」

 

 

「あぁ。バラじゃねぇよ。これは蓮(はす)の花だ。」

 

 

 


この日、Kは上機嫌で私もKのその様子がとても嬉しかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 


早朝練習を終え、私は学校に行ったが何も頭に入ってこなかった。

 


私は今朝みた蓮の花が目に焼き付いて離れなかったのだ。

 

 

 


そして、昼休みに工場で友達になったネイリストの卵に連絡をした。

 


その日の夕方、私は生まれて初めてのフットネイルを体験した。

 

 

友人は私が蓮の花を書いて欲しいと頼むと不思議そうな顔をしていた。

 

 

「蓮の花?そんなの書いたことないわ。」

 

 

友人は携帯電話を取り出し蓮の花を検索しはじめた。

 

 

「へー蓮の花の花言葉は、清らかな心、離れゆく愛だって。なんかいいね」

 

 

 

仏教では泥水の中から生じ清浄な美しい花を咲かせるハスの姿が仏の智慧や慈悲の象徴とされているそうだ。

 

 

また、よい行いをした者は死後に極楽浄土に往生し、同じハスの花の上に身を託し生まれ変わるという思想もある。

 

 

これは「一蓮托生」という言葉の語源になっているそうだ。

 

一蓮托生

 

「死後に極楽の同じ蓮華の上に生まれること」

 

「結果はどうなろうと行動や運命をともにすること」

 

 

 

 

本当に繊細でたおやかな彼女の手の動きに私は視線を外すことができなかった。

 


私は動く筆先に全神経を集中させていたため、このときの彼女との会話は一切覚えていない。

 

 

彼女は白を下地に朱色で蓮の花を描き、親指にだけ銀色で蝶を描いた。

 

 

その銀色の蝶は室内のライトの光を反射させながらキラキラ輝き、蓮の花の周りを優雅に舞っていた。

 

 

彼女の繊細な手で描かれた蓮の花と蝶は本当に素晴らしい出来ばえだった。

 

 

その彼女の作品は私に確かな自尊心を湧かせた。

 

 

 

彼女の家をでた頃には外は夜の9時を回っていた。

 


駅までの道のりを歩く私はほとんど躁状態で、私の体にまとわりつく生暖かい夏の夜風は更に私を狂わせた。

 

 

 

 


Kの刺青にもそのような効果があったのだろうか。

 

 

ネイルや刺青は単なる自己満足であろうか。それとも自己顕示欲の現れだろうか。

 


私はKの刺青は美しいとは思ったが自分の体に入れようとは決して思わない。

 

ピアス一つ開けようとは思わない。

 


なぜなら、日本社会では刺青を多くの不利益を被るし、刺青もピアスも病気のリスクがあるからだ。

 

 

刺青を入れた者は、暴力団構成員と認識され、公衆浴場や遊園地、プール、海水浴場、ジム、ゴルフ場などへの入場を断られることがある。

 


また、生命保険会社も暴力団関係者の加入を断っている。

 


それは、保険会社には社会的に健全な方法で保険料を運用するという決まりがあり、刺青を入れている暴力団関係者に支払う事は、健全な支払いとは考えられていないからだ。

 

 

 

Kはいつも長袖を着ていた。

 

激しい痛みに耐えてまで、なぜ刺青を入れたのだろうか。


Kの背中に描かれた刺青はKにどんな影響を与えていたのだろうか。

 

そして、どんな思いで刺青を背負って生きてきたのだろうか。


一生、刺青を背負い、死ぬまでその世界で生きていく覚悟だったのだろうか。

 

私にはKの心を推測することも理解することもできない。

 

 

 


それができるほど私達は長い時間を共に過ごすことはできなかったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

約一週間後、Kから電話がかかってきた。

 

 


Kはいつもと変わらない声で「インストラクターの試験落ちたわ。」と私にいった。

 

 


Kは合格ラインのスコアはクリアしていたし、ライバルたちの中でも一番良いスコアを出していたはずだ。

 


私は理由が分からず、なんと声をかけたらいいのか戸惑った。

 

 

 

 

「わしの情報が流れとるかもしれん。ヤバイから飛ぶわ。ほんとありがとな。」

 

 

私「え!!!すぐに!?」

 

 

「荷物片付けたらな。一緒にいくか?」

 

 

私「え!!なんで?」

 

 

 

 


Kは、電話越しにハハッと笑っていた。

 


やはり、私はKの笑い方がなんとなく心地よいのだ。

 


そして練習場にKが現れることは二度となかった。

 

 

私は1人で早朝練習をする日常に戻った。

 

 

早朝練習の帰り、私は練習場のスタッフにKがなぜテストに落ちたのか尋ねた。

 

 

スタッフは「まぁ、困るよね。そういう筋の人は。」とだけ言って退散した。

 

 

 

 

 

 

 

 

この数日後、私は本を返却するためHと会っていた。


Hは「さまよう刃」を私から受け取りながら、私にこういった。

 

「そういえば、Kさん仕事こなくなったんだよ。辞めてくれてみんな安心してるよ。
どうして、あんな人間を会社は受け入れるんだろうね。
犯罪者には一生、罪を背負わせるべきだよ。
自分は犯罪犯しながら、のうのうとゴルフするなんて許されないよ。」

 

私はHの言葉に違和感を覚えた。


私とKは工場で会話することはなかったし、Hにゴルフの話をしたことは一度もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Kが過去に行ってきた反社会的行動は確かに悪いことだ。

 


けれども、Kの人間としての価値がなくなるということは決してないはずだ。

 


なぜ、みんなKの希望を平然と奪っていくのだろうか。

 

 

やはり、この世界は奪うか奪われるか、勝つか負けるかの世界かもしれない。

 

 

でも、もしそのような世界なら、勝負は死ぬまでわからないはずだ。

 

 

私はKが敗者復活戦でこの世界に、この社会に戻ってくることを強く望む。

 


試合にでるか、でないかはK次第なのだ。

 

 

「われわれは、ときには周囲の人から受け入れてもらえない社会で生きている。
だから、【生きているから】という理由だけで、何の条件もつけずに自分を受け入れられるようになることが重要である。」とエリスは述べている。

 

 

今の社会はルール無用で、敵だらけで、悪意も善意も分からなくなってきている。

 


それでも、私はKにはゲームのルールを守って欲しいのだ。

 


そのルールの中で戦わなければ、負の連鎖は止まらない。

 


もしKが人生の試合に戻ってくるのなら、今度は必ず応援に行くだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は二ヶ月ぶりにゲイバーに訪れていた。

 


友人(以前登場したゲイの友人)は少し会わないうちに変身を遂げた私に驚愕していた。


髪は黒髪になり、服の系統が落ち着いたにも関わらず、派手なフットネイルをしていたからだ。

 


今回起きた出来事を私は友人に話した。

 

 

友人は私の話を聴きながら、カウンターに縄を広げて亀甲縛りの練習をしていた。

 

一体どこでその練習の成果を発揮するのか謎である。

 

 

 

 

 

私「ねぇ、なんかスッキリしないと思わない?○○ちゃん(友人のあだ名)はHさんとKさんとどっちが悪いと思う?それともKさんを不合格にした人?」

 

 

ゲイの友人はこう言った。

 

「そりゃ、〇〇ちゃん(私のあだ名)だよ!」

 

 

 

私はこの予想外の友人の答えに驚いた。

 


私は何も悪いことをしたつもりはないし、彼らの物語のただの傍観者だ。

 

 

 

「もし僕なら、Kについて行くかなぁ。ほんでそのHの足を思いっきり蹴り飛ばすね。○○ちゃんは、なんとも思わないわけ?」

 

 

なんとも答えようがなかった。

 

 

私はどこかで聞いたこんな言葉を思い出していた。


一番悪い人間は罪悪感なく悪いことを行う人間だという言葉を。

 

Hはしばしば私を偽善者呼ばわりしていたが、あれは正しかったのだろうか。

 

 

 

私は自分の足の指に描かれた蓮の花を見ながら、なんと返事をしようか考えていた。

 

 

 

「○○ちゃんはやっぱりエグい人間だよねーどうせ、だれも愛せやしないのにね(笑)
そのネイルもなんだか不気味なんだけど。でも僕は○○ちゃんのそういう面白い所が好きだよ。(笑)」

 


と友人は意地悪そうに笑っていた。

 

愛せない??そんな馬鹿な。

 

 

「私は愛に溢れた人間だよ。私は〇〇ちゃん(ゲイの友人)に骨髄も血もあげれるよ。もし私が死んだら全部あげてもいいよ。」

 

そして私はドナーカードを財布から取り出してみせた。

 

 

「エグいって!!!ほんとにエグいからほんとやめて!!」

っと言いながら友人は腹を抱えて大笑いしていた。

 

 

 

けれども友人はカウンターに広げていた縄を鞄に閉まい、私の小皿から私のピーナッツを摘んで食べた。

 

そして新しいシャンパンを開けて、私達は乾杯した。

 

 

 

この友人は私を笑っていたが、次に会った時に友人はドナーカードを持っていた。

 

 

私にそのカードをみせながら

 

「僕たちの友情は鬼アツだよね」と笑っていた。

 

 

まだ、そのカードを持っているだろうか?私は今も肌身離さずに持っている。

 

 

 

 

 

 

私は悪い人間だろうか?

 

 

 

 

 

たしかに、私は平和な世界など望んでいないかもしれない。

 


私はきっと平凡な退屈な毎日に耐えることができない。

 

 

私の心臓を高鳴らせたKの背中に描かれていた絵のような、運命的で叙情的で冒険的な世界を望んでいるのだ。

 

 

Kが背負っている罪やKが生きてきたアンダーグラウンドな世界はきっと美しい世界ではないだろう。

 

 

私はそのような世界に足を踏み入れることは決して出来ない。

 

 

けれども、そんなKの背中に描かれた蓮の花は息を飲むほどの美しさだった。

 

 

いや、あれはKの背中にあったからこそ美しかったのだろう。

 


まさにそれは泥水の中から生じた清浄な美しい花なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この出来事は、たったひと夏の間に起こった出来事だ。

 


私は幼い頃から夏が近づくにつれなぜか軽い躁状態へ陥いる。

 


特に夏の夜風は、私の心臓を鷲掴みにして、私の脳を狂わせるのだ。

 

 

私は今回の出来事の加害者ではないし、謝罪会見を開くつもりもない。

 


だって私は夏の夜風の被害者なのだから。

 

 


私は自分の狂気を悪事をすべて夏の夜風のせいにして、被害者づらをして善人ぶって今日も生きている。

 

 

 

 

だって、こうやって人間は生きていくんでしょ?

 

 

 

あなたが私をどう思うかは、あなたに任せることにしよう。

 

 

 

それはもうあなた次第だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


If I die,

 

Please use my body for the development of medicine or for people in need!


But,Please keep my strange brain without using.


If it were possible,

 

I want you to research my crazy mind.


If you do so, I'm really really happy.

 

 

 

 

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私の正義

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夏の長期休みに入り、日中が暇になった私は派遣アルバイトに登録した。


派遣先は工場だ。そこで私は1日中、果物のヘタをとるという職務についた。

 

その工場は様々な派遣会社から様々な人が集まってきていた。

 

仕事中は黙々と作業を行うのだが、私は休憩室で違う派遣会社の三人組みと仲良くなった。

 

ネイルの専門学校に通う女子学生と男子大学生、そして20代後半くらいの男性Hだ。

 

Hは大学院卒業後に就職するも、退職し司法書士になるためにアルバイトをしながら試験突破を目指していた。

 

 

私達4人は、よく仕事終わりにでファミレスでお喋りを楽しんだ。

 

 

Hの影のあだ名はインテリ君、うんちく君だ。


Hは私達の会話に何か一言つけくわえないと気が済まない性格で、特に私に対して批判的だった。


Hは私が発言すると必ず「は?」といった。


彼の口ぐせは、「で?」「それで?」「それになにか意味はあるの?」だ。

 

 

ファミレスで私がパフェを注文した時も激しく非難してきた。

 


「は?それ夜ご飯?ちゃんとご飯を注文しなよ。
パフェはご飯にならないし、そういうのを注文すると頭が悪そうに見えるよ。」

 

 

他の二人は「好きなもの食べたらいいじゃん」という意見でだったので、私はパフェを注文した。

 

 

 

 

 

 

工場での昼休み中、テレビで尖閣諸島問題が取り上げられており、Hは私に意見を求めてきた。

 

「最近の若者の意見を聞きたいなぁ、これについてどう思う?」

 

 

私「喧嘩は良くないので誰も住んでいない小さな島はあげてしまってもいいと思います。」

 

 

 


するとHは色白の顔を赤くして怒り始めた。

 

 

 

 

「じゃあ、中国が沖縄や四国を奪いにきても同じことがいえる?
1個許すとね、人間は付け上がるんだよ。僕は日本も武装するべきだと思うね。
それは戦争に賛成しているわけじゃなくて日本の平和のためにね。」

 

 

「君みたいな、知識のない偽善者と犯罪者が日本を壊すんだよ。
少しは勉強した方がいいよ。無知の人間は発言する資格もないから。
○○ちゃん(私)は、誰にでも良い顔して、正義の味方ぶるけど、それは正しいことではないよ。」

 

 

「社会に司法書士や弁護士や税理士が存在するのはどうしてだと思う?
○○ちゃんみたいな無知な人間のためにじゃないよ。
国がわざとシステムを難しくしてるんだ。無知な人間から金を搾取するためにね。」

 

 

 

「勉強するといってもテレビは見ない方がいいよ。
テレビで報道されてる内容なんて操作されたものだからね。
あんなものは信用するに値しないよ。」

 

 

私は内容をすべて覚えてはいないが、Hは約一時間、早口で喋りつづけていた。

 

 

 

 

 

 

 


工場でアルバイトを初めて数日後、新しい人(K)が工場に派遣されてきた。

 

季節は夏だったが、Kはいつも長袖に屋内でもキャップを被っていた。


休憩室でも誰とも話をすることはなく、いつも鋭い目つきをしていた。

 

 

HはそんなKに関わらないように私にしばしば注意喚起をしていた。


けれども、Hの知らない所で私とKは交流があったのだ。

 

 

 

 

 


HはファミレスでしばしばKのことを話題に挙げた。

 

「真夏に長袖、キャップ、、、、。大方、体に刺青でもはいってるんでしょ。
○○ちゃん、あーいう男には近づかないほうがいいよ。
○○ちゃんみたいな、偽善者がああいうのに騙されて泣かされるんだよ。」

 


「だいたい、こういう工場でしか働けないような大人は社会不適合者の集まりだから。いわば、社会の底辺。目が死んでる人ばっかりでしょ?」

 

 

 

私「そしたら私達は、社会不適合者でしょうか?」

 

 

 

Hはため息をついた。

 

 

「社員と僕たちみたいなアルバイトはまったく違うから。
だいたい僕は人にペコペコするのが嫌だし、人に接するのも面倒くさい。
それに、決まった勉強時間を確保したいから工場で働いてるだけだよ。」

 


「君たちも、就職先はしっかり考えて決めたほうがいいよ。
学生だからまだ分からないだろうけど、社会は頭の悪い人間が頭の良い人間に使われるシステムになってるからね。

ただ、○○ちゃん(私)は女に生まれて運が良かったね。
高収入の男を捕まられるようにせいぜい努力したらいいよ。」

 

 

 

 


私「なんだか、Hさんの話聞いてると悲しくなってきますね。
私はみんなで仲良く協力できる社会になったらいいと思いますよ。」

 

 

 

 


「は?本気でそんなこと思うなら政治家にでもならないといけないね。
どうせ○○ちゃんは選挙にすら行ったことはないだろうけど。
最近、選挙にもいかずに政権批判してる人間が多いけど、選挙に行かないような人間は批判する権利もないからね。」

 

 

 

図星であった。私は選挙に行ったことがなかった。

 

 

 

 

私「私は別に政治家になりたいわけでもないです。権力もお金にも興味ないです。」

 

 

 

 

 


「は?権力がないと人間は何もできないよ。そしてお金もないとね。
日本では25歳を過ぎればだれでも政治家を目指せると言ってるけど、金を集められない人間は立候補すらできないに等しいからね。
この世の中には何をするのだって金がついて回るんだ。そして勝ち負けもね。」

 

 

 

 


選挙にかかる費用は、選挙の種類や地域・選挙区の規模などによって大きく異なる。


例えば、一般的な市議会議員選挙の費用は200万円~800万円。


参議院選挙では6,000万円以上とも言われている。


更に、立候補するに当たって供託金という制度がある。


供託金とは、立候補者に法律で決められた金額を、一時的に法務局に預けるお金だ。
当選を争う意志のない人、売名などを目的とした無責任な立候補を防ごうという制度で、 選挙の種類別にその額が決められている。


一定の得票数を満たすことができれば返却され、規定の得票数に達しなかった場合や、途中で立候補をとりやめた場合などは没収される。


市区の長ならその額は100万円だ。


Hの言う通り、日本はお金がないと政治家になれないシステムになっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある日、ファミレスでHは眉間に皺をよせてこんな話を始めた。

 

 

「やっぱりKさんは危ない人間みたいだよ。前科者だ。
それも、人間の屑みたいな犯罪を犯してるよ。」

 

 

Hはどこで情報を仕入れてくるのか分からないが、父親は警察のお偉いさんのようだ。


その影響からか、Hは犯罪者を社会から排除するべきだという強い信念を持っていた。

 

 

 

 

私「そういう話やめませんか。もう法律で罰せられてるんですよね?
過去のことを持ち出してくるのは止めましょうよ。」

 

 

 


「は?○○ちゃんは間違ってるよ。罪を償ったらそれでいいなんて甘い。
○○ちゃんの親が殺されたら、同じことが言える?
被害者の立場に立って物事を考えてみなよ。犯罪者は社会のゴミだ。」

 

 

 

 

 

 

他の二人は私と同意見だった。

Hは私に捨て台詞を吐いてKの話をやめたが、不満そうな顔をしていた。

 

 


私はKの犯した罪が何かは知らない。

 

 

 

 

 


その次の日、Hは私に一冊の本を貸してくれた。


東野圭吾の長編小説「さまよう刃」だ。

 

会社員・長峰重樹の一人娘・絵摩が死体で発見される。悲しみに暮れる長峰に、数日後、犯人の名と居場所を告げる密告電話がかかってくる。 逡巡の末、電話で言われたアパートへ向かう。留守宅へ上がり込み、部屋を物色すると、複数のビデオテープが見つかる。
そこには絵摩が犯人2人に陵辱されている映像が写っていた。偶然帰宅した犯人の一人・伴崎敦也を惨殺した長峰は、虫の息の伴崎からもう一人の犯人・菅野快児の潜伏場所を聞き出し追う。(wikipediaより)

 

 

 


犯人の菅野快児は反社会的な人間で、読む人の胸を締め付けるような残虐な行為を平然と行う。


彼は小説の中の架空の人物だが,行動に出るかどうかは別として,社会性に欠けた、自分本位な人間は特殊な例ではない。


その証拠に、このような事件が世間では日常的に起こっているのだ。

 

そして、私は強い疑問を抱いた。本の中にも書いてあったこの疑問だ。

 

 

「警察の守ろうとしている正義が本当に目指すべき正義なのか」

 

 

悪とはなんなのだろうか。法律にかからなければそれは悪ではないのか。


法律は誰が誰を守るために存在するのだろうか。


更にその犯罪者を取り締まる法律や警察すらも完璧なものではないとなると、

本のタイトルの通り、刃は今もさまよったままだ。

 

 

本に書かれていたこのセリフは今も私の心に残っている。

 

 

「警察は市民を守っているのではない、法律を守ろうとしている。
その法律も完璧なものではないから改正が行われる。
完璧でないもののために警察は人の心を踏みにじっていいのか」

 

 

私は,本を読み終えた後、菅野のような更正の望みの薄い人間は少年法の適用を除外すべきではないだろうかとも考えた。


そして、私はHの言葉を思い出した。

 

 

「○○ちゃんの考えは間違ってる。罪を償ったらそれでいいなんて甘いよ。
○○ちゃんの親が殺されたら、同じことが言える?被害者の立場に立って物事を考えてみなよ。犯罪者は社会のゴミだ。」

 

 

Hの言う通り、私の考えは甘く浅はかなものだったのだ。

 

 

 

 


私は1日でこの本を読み終えた。


この頃、長期休みが終わりアルバイトを辞めた。


そのため、いつもの4人でファミレスに行くこともなくなった。

 

 

 

私はHに本を返すために連絡をした。


そして、私達は初めて2人きりで食事にでかけたのだ。

 

Hの連れて行ってくれたお店は不思議な店だった。

 

 

外観はお洒落なダイニングバーなのだが、店内は年季の入ったポスターや戦車の模型、戦争関連の写真などが壁に飾られていた。


そしてカウンターのすぐ後ろには、大きな日本国旗が飾られていた。


私たちはその日本国旗を背景にカウンター席に座った。

 

Hとマスターは顔見知りのようで、楽しそうに会話していた。


会話の内容は政治の話だ。


私は相変わらずの無知で話に入れなかったので黙々と食事を楽しんでいた。

 

 

するとマスターが私に話をふってきた。

 

 

「君は誰か尊敬する政治家はいる?」

 

 

私は、新聞も読まないどころかテレビも見ないような学生だった。


そのため、当時の首相を安倍晋三と勘違いしていたが、安倍晋三は2007年に退任しており、当時の首相は野田佳彦だ。

 

私は本当に適当に
「安倍さんがなんか好きですね。優しそうで。」と答えた。

 

 

すると、マスターとHは顔を見合わせ笑いだした。


マスターは私の人を見る目、感性が素晴らしいと褒め、メニューにないスペシャルパフェを作ってくれた。

 

Hもなぜか嬉しそうだった。


安倍晋三の話がでてから、Hは私を懐かしいものでも眺めるような優しい眼差しで見つめていた。


私たちはカウンター席に隣同士に座っていたのだが、Hは自分の足を私の足に密着させはじめた。

 

 

私にはHの行動が了解不能であった。


いつも私を怪訝そうな目で見ていたHが、なぜ安倍晋三の話でラブモードへと突入したのか。


安倍晋三にどんな意味があったのかは分からないが、再び総理大臣となった彼には何か目には見えないパワーがあるのだろう。

 

 

けれども、この了解不能な流れを変えたかった私は、
Hの足からそっと距離をとり、友人にしてもらったフットネイルをHにみせた。

 

 

私「これすっごく可愛くないですか?」

 

 

 

するとHの優しい眼差しはいつもの怪訝そうな眼差しに戻った。

 

 

「は?そういうの更にバカっぽく見えるからやめた方がいいよ。
お金の無駄使いだし、全然似合ってないよ。あと、その服装もどうかと思うよ。
スカートは膝が隠れるくらいがいいよ。制服のスカートの丈の長さで高校の偏差値もわかるよね。うんぬんかんぬんうんぬんかん‥あと、その髪の色もどうかと思うな。」

 

 

Hはひどく私の容姿を非難してきた。
当時も今も、私は服や髪型に自分のこだわりがない。
当時は友人や店員に勧められた服を買い、髪も知り合いの美容師にお任せでされるがままであった。
服装は年相応であったが、髪型は少々派手ではあった。

 

「す、すごい言いようですね。人を見た目で判断したらダメですよ。」

 

 

彼は深く溜息をついた。

 


「あのねぇ、残念ながら人は見た目で判断するんだ。
君は茶髪に派手なネイルした医者に手術してもらいたい?
見た目を変えないと、人は君の意見なんて聞いてはくれないよ。」

 

 

確かにHは黒髪に知的そうな眼鏡をかけていた。
そして、バイト帰りでも清潔感のある服に先のとんがった綺麗な靴を履いていた。

 


ご飯も食べ終わり、帰る雰囲気になったので私は彼に「さまよう刃」を返した。

 

 

するとHは思い出したように私にこう言った。


「そういえば、Kさん仕事こなくなったんだよ。辞めてくれてみんな安心してるよ。
どうして、あんな人間を会社は受け入れるんだろうね。
犯罪者には一生、罪を背負わせるべきだよ。
自分は犯罪犯しながら、のうのうとゴルフするなんて許されないよ。」

 


私はHの言葉に違和感を覚えた。

 

 

 

帰り際にマスターは「また、おいで」と優しく微笑み、お手製のDVDをくれた。


私は帰宅後すぐにこのDVDを鑑賞した。

 


タイトルはたしか、「日本国のはじまり」だったであろうか。

 

モノクロの戦時中の映像から始まったそのDVDは戦争の悲惨さを物語っていた。
私の知らなかった日本の姿、他国が日本に行った残虐な行為をそのDVDは教えてくれた。


それは私の知っている幸せな世界ではなかった。

 

けれども、これは現実に起きたことなのだ。


やはりHの言う通り、私は浅はかな考えしか持っていなかった。

 

 

 

 


人の言っていることをすべて信じるのは決して善意ではない。


いままで私は社会の良い所、人の良いところばかりに目を向けていた。


私は広い視野を持って冷静に社会を見るべきなのだ。

 

そして、知識や権力を持たなければ、自分の意見など周りに聞いてはもらえないのだ。


正しいことをするために、私は勉強をしなければいけないと強く思った。

 

 

翌日、私は美容院へ行き髪の色を黒に変えた。


そして、後期から真剣に学業に取り組み始めた。


先生や友人は頭でも打ったのか?失恋でもしたのか?と笑っていた。

 

 

 

 

 

 


私のパーソナリティはHに大きく影響を受けたに違いない。

 

けれども、それと同時にHの言動や行動に私は疑問を抱きだした。

 

自分を一段高い位置に置いて優位に立ち、誰かがやった事や、それをやった誰かを非難したり、自分と人を線引きする行為についてだ。

 

Hは犯罪者や社会のルールを守らない人間を激しく非難した。


けれども、犯罪者を取り締まるのは警察の仕事で、犯罪者を罰するのは法律だ。


Hはそのような権限もないのに、犯罪者や反社会的人間を社会から排除しようとしていた。

 

法律や社会のルールがあるから、私達にはそれを守る義務が発生する。


そして、私たちはそれを守ることによって自分を正当化し、自分の良心を守ることができる。

 

更に他人に対して正義を振りかざしやすいのだ。

 

それは、もはや誰が正しいかというような事ではなくなっている。

 

 

そして、それは他者に対する自分の価値観の押し付けになっていないだろうか。


自分の正義感によって反社会的人間を排除しようとする他者支配という人を操作する行為が始まっているのではないか。

 

正義を武器に反社会的な人間を排除してもそれは逆効果だ。

 


差別が差別を生み、復讐が復讐を生み、負の連鎖は止まらなくなってしまう。

 

 

 

 

私達の生きている社会は、とても危い世界だ。

 

良心の欠如した人間が溢れ、良心的にみえる人間も人の搾取や期待からどのように逃げるかと考えを巡らしている。

 

今日、被害者ぶっている人も、明日には加害者になっているかもしれない。

 

あなたの行なっている行為のすべては、あなたの欲望の何かを満たすために行われているかもしれない。


自己犠牲、利他的な行為など、この社会に存在しないかもしれない。

 

 

 

 


このような社会で人はどのようなコミュニティを作り上げていくべきだろうか。

 

コミュニティとは
「人々が共に生き、それぞれの生き方を尊重し、主体的に働きかけていく生活環境システム」を意味している。

 

特に犯罪者が社会復帰する際には、その取り巻く周囲の人々や組織に働きかけていく援助が必要不可欠であろう。


犯罪者の心を私が理解したとしても、それは問題を解決したことにはならない。


その人の取り巻く環境が、その人の行動に大きく影響を及ぼすからだ。

 

社会は犯罪者を排除したり差別したりしてはいけない。


私達はどうしても共に生きていかなければならないからだ。


その人がその人なりに、どのように社会の一員になれるかを共に考えなければならない。

 

罪を犯した人間も社会の一員になれたとしたら、それはその人の心の安定に繋がり、
再犯を抑制する効果があるだろう。


そしてそれは社会の安定に繋がり、あなたの平和な日常を守ることにも繋がるのだ。

 

 


そして出来るなら、犯罪を起こす前の段階で問題を解決に導くような予防ができれば、より多くの人の役に立つだろう。


予防的な活動として、人は何ができるだろうか。

 

 

特に犯罪のリスクが高い人への働きかけは重要であろう。


例えばサイコパスは治療や支援が必要であるにも関わらず、そのような場には現れる可能性は低い。


そのような人間に対して必要な治療や支援を受けやすくするシステムがこれから必要となってくるだろう。


早期発見、早期治療が重要なのは言うまでもない。


現時点では難しいであろうが、学校や会社の健康診断に専門家が立ち会い、評価や問診などを用いてハイリスクな人を発見することができないだろうか。


早期に発見し、定期的に検診や治療を行えば、犯罪を犯すリスクも減るのではないだろうか。


それには、多職種の専門家どうしで連携しあうことが不可欠であろう。

 

 

 


では、健康診断を受けられないサイコパスたちにはどのようにしたら良いだろうか。

 

それはサイコパスの近くにいる人に知らせてもらうしかないだろう。


しかし、自分は悪いと思っていないのに検診や治療というと大抵は怒るであろう。

 

けれど、その治療がサイコパスにとっても有意義な内容ならどうだろうか。


現在、サイコパスの治療に関してエビデンスのある心理療法認知行動療法のみと言われている。

けれども、他にも何か組み合わせてできないだろうか。

 


例えば、自律訓練法やリラクセーションはどうだろうか。


自律神経系の興奮や怒りを鎮め、心身ともにリラックスさせることにより、彼らの衝動的な行動は減少するのではないだろうか。


そして、サイコパスもマッサージに行くような感覚で治療に来てくれるのではないだろうか。最新のVRを用いても楽しそうである。

 

 


そして社会に正しい知識を広めていかなければならない。


人は得体の知れないものは怖いのだ。


その恐怖感は無用な差別を生み、社会に居場所のなくなった人間たちは犯罪に手を染めるリスクが高くなってしまう。

 

 

 


私は、決して反社会的行動を許容しているのではない。


私はそのような行動は断固として受け入れないが、その人間自体を拒絶するようなことはしない。


犯罪者だから反社会的人間だからといって、その人の人間としての価値がなくなるということは決してないのだから。

 

 

私達は知識を持ち、広い心をもたなければならない。

 


もし、私達が様々な価値観を受け入れることができたなら、この世界はもっと美しい世界になるような気がするのだ。

 

 

 

 


つづく

自己愛

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〝月夜の浜辺〟


月夜の晩に、ボタンが一つ

波打際(なみうちぎわ)に、
落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂(たもと)に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
月に向ってそれは抛(ほう)れず
浪に向ってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
指先に沁(し)み、心に沁みた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?

 

 

詩人 中原中也の有名な詩である。


中也は数々の名作を持つ詩人として天才と呼ばれているが、
パーソナリティ障害の心理を持ち、友人や異性関係でトラブルを繰り返していたのは有名な話である。


私生活では自由奔放に見えるが、作品を見ていくと、内面はとても繊細で傷つきやすい心理がみえるのである。


今回はパーソナリティー障害の中から
個人的に関心の高い、自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)についてとりあげる。

 

DSM5による NPDの診断基準


誇大性,賛美されたい欲求,共感の欠如の広範な様式で,

成人期早期までに始まり,種々の状況で明らかになる.
以下のうち5つ(またはそれ以上)によって示される.

 

(1)自分が重要であるという誇大な感覚

 

(2)限りない成功,権力,才気,美しさ,あるいは理想的な愛の空想にとらわれている.

 

(3)自分が“特別'‘であり,独特であり‘他の特別なまたは地位の高い人達(または団体)だけ が理解しうる,または関係があるべきだ,と信じている.

 

(4)過剰芯賛美を求める.

 

(5)特権意識(つまり,特別有利な取り計らい,または自分が期待すれば相手が自動的に従うことを理由もなく期待する)

 

(6)対人関係で相手を不当に利用する

 

(7)共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない,またはそれに気づこうとしない.

 

(8)しばしば他人に嫉妬する,または他人が自分に嫉妬していると思い込む.

 

(9)尊大で傲慢な行動または態度

 


疫学

一般人口における生涯有病率は1%、病院患者においては2%〜16%と推定されている。


ここ10年で自己愛性パーソナリティ障害の発生率は2倍以上に増加している。


NPDと診断される人のうち50~75%が男性である.

 

 


特徴

 

NPDの人物は傲慢さを示し、優越性を誇示し、権力を求め続ける傾向がある。


彼らは称賛を強く求めるが、他方で他者に対する共感能力は欠けている。


また、人より優れているという、高い自己価値感を有しているが、

実際には脆く崩れやすい自尊心を抱えている。

 

批判を処理することができず、自己価値観を正当化する試みとして、

しばしば他者を蔑み軽んじることで内在された自己の脆弱性を補おうとする。

 

 

 

分類

 

NPDは数多くの報告が成される中で、顕在型(無関心型)と潜在型(過敏型)という2つのタイプに大きく型分けされるような障害として認知されてきた。


その報告を行ったのがグレン・ギャンバートである。


これらの表現型の違いは、彼らの持つ誇大的自己が内的にどのように処理されるかによって、その現れ方が変わってきたものと理解される。

 


自己愛な人(無関心型)

 

Rさん

生まれた時から、敏感な気質があり夜泣きが酷かったようだが、
両親は愛情をそそいで育てた。


成長し顔立ちがはっきりとしだすと彼の周りの環境は変化していく。
彼は、並外れて優れた容姿をもっていたのである。


両親は彼を連れていると周囲からの称賛の声を浴びせられたという。
このような体験は、特に母親の自尊心を満足させ、我が子への過大評価へと繋がった。

両親から大切に育てられ周囲が過度に与えた賞賛は彼の自意識の形成を大きく助けたに違いない。

成長に伴い、更に顔立ちが整い、長身も手に入れた彼はさらに自己愛を強める。


学校に通うようになると、その容姿と自信に溢れた口達者な振る舞いでクラスの中心的存在となる。
しかし、彼は自分より容姿の劣る者や自分の意に反する者を貶し虐めた。
また、彼は、兄弟にも批判的な態度を示したのである。


自分がほしいのに得られなかったものを持ってたり、自分よりも良い成果をあげたとき、激しく批判し、破壊しようとした。

 

少年時代は学業成績もよく、進学校へと進む。
しかし、そこは全寮制の学校である。


厳しい上下関係、自分を甘やかしてくれる両親の不在により彼の自尊心は傷ついた。
彼は挫折や反対意見、批判に我慢強く耐える能力がないのである。

 

その後、成績は下降。落第。
落第したという事実と後輩たちと授業を受けるという事実に耐えれず、自らの意思で退学する。


その後、就職するが共感性も不足しているため、人と協調的に仕事をすることが困難であった。


しかし、その容貌と口達者で自信家な振る舞いは異性には魅力的にみえるようである。


恋人に多大な献身をあてにし,その人の苦労や心情は意に介さず利用する。

 

自分の目標を助けてくれるときか,自分の自尊心を満足させると思えるときに限って,友人関係や恋愛関係を結ぶのである。


恋人に至っては利用価値のみではなく、美しい自分に値するだけの容貌を兼ね備えているかも判断基準となる。

 

 

 


Sさん(過敏型)

 

幼い頃から背が低いというコンプレックスがあった。


それを代償するように勉強に励む。


学校では、みなに平等で親切なふるまいをし学級委員や生徒会長を務めるなど模範的生徒になった。


周りに横柄なふるまいをすることはなかったが、人からからかわれたり、勝負事に負けることを極度に嫌った。

 

スポーツが好きでサッカー部に入部したのだが、レギュラーにはなれなかった。

 

活躍する仲間を応援することに耐えられず、
周りには勉強に専念したいという理由で退部した。

 

そして更に勉強に熱意を向けた。

 

その後、難関大学へと進学し税理士となる。
自己愛を満足させるための社会的地位を手に入れたのである。

 

税理士になってからも熱心に仕事に取り組み、

高いスキル・顧客からの信頼も手にする。


それでもなお他者の反応や評価が気になって仕方がないのである。

 

それは異性関係にも現れている。


好みの女性には優しく、マメな行動をとるのだが、

自分の好意を受け取ってもらえない時には、

自尊心はひどく傷つき、無視や軽蔑、怒りなどの行動にでるのである。

 

少しの批判でも、自分を拒否され、屈辱を与えられたと感じる。


そのため、周囲には自分を賞賛してくれる人間しかおかない傾向がある。

とても過敏で傷つきやすいのだが、
自分は周りよりも優秀な人材であるという自信は揺るぎないのである。

 

 


上記した2人はグレン・ギャンバートの分類にあてはまるが、
しばしば、NPDの人々は無関心型と過敏型が混合し、状況により反応は大きく変動する印象を受ける。

 

 

 

NPD の人はどのような経過をたどるのか

 

 

NPDの人々はしばしば野心的で有能なことがあり高い地位についたり、

社会に大きな貢献をする人も多い傾向がみられる。

 

しかし、加齢につきものである美しさの損失、肉体および職業上の制限が出現したときに適応することが特に困難であるかもしれない.


NPDを有していたとされる有名人として三島由紀夫が思い浮かぶ。


彼は加齢による美の衰えを極度に恐れた。

 

やがて国家主義的思想に自らの在り方を重ねていった三島は、

割腹自殺により、美を保ったまま自らの人生に幕を下ろしたのである。

 

 

NPDの人々について考える

 

自己愛とは言い換えれば、自らを大切に思う気持ちであり、
生きていく上では重要な感情である。


ただ、自己愛があまりにも大きくなり、
そのことに対して本人が苦痛を感じたとき問題となってくるだろう。

 

私が出会ってきた自己愛の強い人たちはNPDの診断基準をみたしているが、
個人差は大きく、それぞれの行動様式があり、個性がある。

 

そして彼らのは一見すると自己中心的にもみえるが、接していくと、
とても理論的に世界を捉えていることが分かる。 知的レベルが高く、繊細で感受性が強く、 ロマンチックなパーソナリティーをもつ印象を受ける。

 

オルポートによると人格(personality)とは

 

「個人の環境へ適応を決定するような心理的身体的な諸所のシステムからなる、個人の力動的組織である」

と定義されている。

 

人格とは、人間を構成する
さまざまな心理的・身体的な要素を統括する上位のシステムであるということ。


そしてそれは、個別的であるということ。
また、その個人は環境を適応するが、それは受動的ではなく、
自ら環境の意味を変革していく能動性をもつものであると述べられている。

 

 

つまり、私たちが世界への捉え方を変えることによって
人格は変化していくものであるということである。


そして、人格は解離的で多面的なものである。
恋人の前の私、職場での私、さまざまな人格が出現するのは当然のことであろう。

 

彼らの言動や行動の背後にはどのような心の仕組みがあるのか
完全に理解することは難しい。


また、NPDの人々の世界へ、入れてもらえるかどうかも難しい問題である。


彼らはそもそも理解してもらいたいとも思っていないかもしれない。

 

だが、私は彼らの心の背後には表面に現れていない秘密が潜む気がしてならない。


そして強い興味をもたずにはいられないのである。

 

彼らの心の平衡状態が崩れた時、それをきっかけに、
新たな人格のイノベーションへと向かっていってはくれないだろうか。

 

その過程において、
ともに歩んでくれる他者が存在することは大きな助けになるのでないだろうか。

 

短い距離でもともに歩むことができるなら嬉しいことである。

 

 


Personality is the dynamic organization within individual of those psychophysical systems that determine his unique adjustment to his environment.